連日、高倉健の逝去のニュースをテレビなどで目にしますね。
南極物語などの過去の映画や追悼番組を見て、なかには追悼のために墓や献花台を訪れたい人もいるようです。
また、改めて高倉健の家族、妻・江利チエミとの結婚生活、高倉健の自宅の場所はどこか?
そんな風にプライベートに興味を持つ人も増えているようですね。
そこで、今回は
- 高倉健の自宅住所は世田谷区?自宅に関するエピソードとは?
- 高倉健の結婚生活は涙なしでは語れない!
をお送りします。
高倉健の自宅住所は世田谷区?自宅に関するエピソードとは?
高倉健の詳細な自宅住所は公開されていませんが、とある理由から世田谷区だろうと言われています。
とある理由については後ほど・・・
詳細な住所は分かりませんでしたが、こちらにかなり詳しい情報がありました。
外観の写真も掲載されています。
家が家事になったとき高倉健は・・・
高倉健の家というとこんなエピソードもあります。
実は、高倉健が以前住んでいた成城の自宅は、漏電により火事になってしまったんだとか。
『オーラな人々』(椎根和・著)に、その時のエピソードが書かれています。
高倉健が家の門のあたりにいて、画家・横尾忠則氏が高倉健に近づいていった。
(ちなみにその時、妻の江利チエミの姿はなかったそうです)
すると健サンはくるりと振り返り、
『アッ、横尾さん、おいそがしいのに、こんな所にワザワザ来ていただいて恐縮です。さあ、お茶でも……』
といいながら、自ら魔法瓶のコーヒーをマグカップに注ぎ、横尾さんに手渡した。”
えー!
自宅が燃えているのに!(*_*;
どんな時でも相手への配慮と素晴らしい気遣いができる健さん!さすがです・・・
高倉健の江利チエミとの結婚生活に涙・・・!
高倉健は、独身だったと思っている方って多いんじゃないでしょうか?
実は、結婚・離婚を経験されていたんですね。
お相手の方は、「江利チエミ」という方で離婚後に45歳という若さで他界されています。
江利チエミとは?
- 美空ひばり・雪村いづみとともに「三人娘」として大人気の歌手・女優。
- NHK紅白歌合戦に出演したことがある。
- 代表作は『一人泣く夜のワルツ』
- 初主演映画は『猛獣使いの少女』
- 1982年2月13日(45歳)で他界
2人の馴れ初めと結婚生活は?
1956年に映画『恐怖の空中殺人』での共演がきっかけとなり、交際を始めます。
なんでも1957年公開の映画「ジェット機出動 第101航空基地」の撮影時にはこんなエピソードも。
高倉健さんは撮影が終わってから、夜行列車で静岡・浜松からチエミさんの仕事先の大阪へ向かうのを繰り返していたらしいんです。
「10分だけでも会いたい」という気持ち。
いかに熱烈に愛していたかよくわかるエピソードですね。
1959年2月16日に結婚。
結婚後も、江利チエミは高倉健のことを「ダーリン」と呼んでいたそうです。
ただ・・・。
子宝に恵まれたが、重度の妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)により、残念な結果に・・・。
その亡くなった水子供養のお墓も建てられています。
>> 高倉健の墓の場所は?
その後、家政婦兼付き人として「江利チエミの親族(異父姉)」が同居を始めます。
この異父姉・吉田よし子が、様々なトラブルを起こし、江利チエミからの申し出で2人は離婚することになってしまったというんですよ!
そのトラブルというのが
- 高倉健と江利チエミ、それぞれにある事ない事、誹謗中傷をばらまき別居に追い込む
- 江利チエミの実印や預金を勝手に使い、高利貸しからも多額の借金をする
- 不動産(江利チエミの実家)を借金の抵当に入れてしまった
という内容。
異父妹である江利チエミと自分の差に嫉妬しての犯行だったそうですが、昼ドラか!?っていうくらい酷い。
その話をモデルにした小説『テネシーワルツ』林真理子もあります。
ただ、健さんは離婚した当時も、
チエミは…彼女が至らなかったと言っていますが、至らなかったのはボクの方です。
チエミは良い女房でした。ボクは旅が好きで放浪ぐせがあったから、そんなところから、隙間風が入ったのかもしれません。13年間の…。
などと発言し、江利チエミさんをかばい続けたと言います。
江利チエミは異父姉を告訴(懲役3年の実刑判決)し、4億?とも言われる多額の借金を自力で完済。
なんともすさまじい話です。
しかし、ずっと互いを愛し続けた二人
離婚会見は、江利チエミが一人で行い会見後に、ハワイで待つ高倉健の元へ行ったんだとか。
そこで2人はお互いの気持ちを再確認したようですが、すぐに再婚することはできなかったようですね。
将来的に・・・とは想っていたようですが、江利チエミは他界してしまう。
なんとも切ない2人の結婚生活です・・・。
生前、江利チエミは、1980年のロス公演で「私の親しくしていた方の曲で、敬意を表して歌います」と、高倉健の『唐獅子牡丹』を歌いました。
『チエミの唐獅子牡丹』はこちらで聞くことができます。
お互い、大切に想い合っていたんですね・・・
高倉健は、自宅近くにある江利チエミのお墓(世田谷区・法徳寺)にお墓参りに行っているのが何度も目撃されています。
住職の奥さんによると、お寺に入れない時間帯は外から手を合わせている事もあったんだとか。
これが高倉健の自宅の住所が世田谷区と言われる理由だったんですね。
また、こちらのサイトでは、このように書かれています。
以前、私がテレビ取材でご実家を訪れチエミさんのご仏壇に御参りさせて頂いた時のことです。
そこには立派な箱に納められた供養のお線香が置かれていました。
箱には『小田剛一』の文字。
高倉健さんの本名です。
チエミさんの命日には一度足りと欠かさず毎年送られてくるのだそうです。
語らずともその胸中には忘れられない愛妻チエミさんとの時間と想い出が刻まれているのでしょう。
今頃、再会されてるんでしょうか。
今度は、ずっと仲良く暮らせますように!
ということで、『高倉健の自宅の住所は世田谷区?江利チエミとの結婚生活に涙が止まらない・・・
』をお送りしました!