厳しかった冬の気配がやわらぎ、春が感じられる3月。
年度の最終月となっていて色々とお仕事も忙しくなりますね。
新年度を迎えるための準備も必要でしょうから、職場では体調管理も一段としていかなくてはいけません。
そこで今回は、3月の朝礼のスピーチはこんな感じでいってはいかがでしょう?というのうを提案させていただきたいと思います。
例文などものせていますので、参考にしてみてくださいね。
3月と言えば
まずは、3月についてのキーワードを一覧にしてご紹介します。
旧暦や異名 | 弥生(やよい)・花月(かげつ)・花見月(はなみづき)・夢見月(ゆめみづき)・桜月・桃見月・春惜月(はるおしみづき) |
二十四節気 |
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祝日・休日 |
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誕生石 |
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季語 | 如月・桃の節句・雛祭・白酒・菱餅・春の雪・春雷・啓蟄・東風・春めく・伊勢参・水温む・しじみ・からすがい・春の川・若鮎・上り簗・春日祭・彼岸・彼岸詣・彼岸桜・春雨・草の芽・牡丹の芽・芍薬の芽・桔梗の芽・菖蒲の芽・苗床・木の芽・桑の芽・山椒の芽・田楽・菜飯・鰆・ニシン・ます・うど・あさつき・ニンニク・タンポポ・卒業・菜の花・桜・カーネーション・ビヤシンス・スミレ・デイジー・スノードロップ・フリージア・アネモネ・ジンチョウゲ・シンビジウムなど |
時候の挨拶 | 早春の候・春分の候・春暖の候・春寒の候・浅春(せんしゅん)の候・軽暖(けいだん)の候・浅暖(せんだん)の候・迎梅(げいばい)の候・萌芽の候・春暖快適の好季節・春寒ようやくゆるむ候・春光天地に満ちわたる候・枯れ草の間に緑もあざやかに萌え出る候 |
恒例行事や歴史 |
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いかがでしたか?
何か興味のあるものはあったでしょうか?
3月にあったスピーチをするために、トリビアと共に文例をご紹介していきます。
3月の朝礼のスピーチで使える文例
暦の上では「春」だけど、まだまだ肌寒い日も多い3月。
本格的な春に向けてしっかりと準備をしたい時期でもありますよね。
学校などでは卒業式が行われ、出会いと別れが訪れる季節でもあります。
職場の方はどうか・・・というと新年度に向けての準備やともすれば転勤の内示がでているかもしれません。
そんな何かと慌ただしい3月にぴったりのスピーチをご紹介します。
3月の朝礼のスピーチ①「マーチ・行進曲の日」
3月1日は「マーチ・行進曲の日」なんだそうです。
3月は英語で「March」ですよね。
行進曲も同じ表記をします。
このことからこの日は「マーチ・行進曲の日」として制定されたんだそうですよ。
そもそもなんで3月は「March」?
英語表記にもその月を表す由来というものがあります。
3月はローマ神話に登場する軍神マルスを称える意味を持っています。
軍神マルスは「戦と農耕の神」とされています。
古代ローマは3月から新年度とされていたんですね。
季節が穏やかになっていく3月こそ軍隊を動かしたり、農耕を始めたりするタイミングだったということです。
この軍神マルス、ローマ神話では「戦いにおいて前へ進み出る者」「進軍する者」という意味を持つマールス・グラディーウス(Mars Gradivus)という添え名をつけてあがめられていたんだとか。
英語で書くと「Mars」となります。
この言葉は惑星にもついていて「火星」のことを「マーズ」と言いますよね。
あの名前もやはり軍神マルスが由来です。
軍神マルスは戦と農耕の神様であり、火星を象徴とする神様ともされていたんです。
何故火星が軍神マルスの象徴となったのかというと、火星は地球からみると赤褐色をしていますよね。
多くの海水で覆われている地球とは正反対とも言えるでしょう。
こうした赤褐色の色をした火星の姿は、戦争において流される血と炎を連想させるということで古代の世界ではローマ神話だけではなく、ギリシア神話においてもバビロニア神話においても「戦争と破壊の神」とか「戦争と疫病の神」といった戦いに関する神々と深く結び付けられていました。
とっても戦いに深い関わりを持つ軍神マルスですが、何故そこで「農耕の神」という制反対とも言える神様となったのでしょうか。
それは戦争が行われる時期に関係します。
古代の人々は農耕社会を営んでいました。
自らの領土を拡大していく侵略戦争は春にまいた穀物の収穫期を迎えた後に集中して行われていたんだそうです。
つまり秋と冬ですね。
この事から戦争と農耕は切っても切り離せない関係が古代ローマにはあったため、軍神マルスは「戦と農耕の神」となっていったんですね。
軍神マルスの「Mars」。
この言葉から3月のことを古代ローマでは「Martius(マルティウス)」としていたんだそうです。
この言葉が変化して「March」となったんだそうですよ。
アンパンマンのマーチって知ってる?
そんな「マーチ」繋がりで制定された「マーチ・行進曲の日」。
あなたも聞いたことがあると思いますが、アンパンマンのテーマ曲。
あの曲も「アンパンマンのマーチ」ですよね。
この曲、実は「軍歌」だったという説があるんですよ。
作詞はアンパンマンの作者でもある「やなせたかし」さん。
実は何気なく聞いているようなマーチですが、歌詞を読んでみるとグ、と胸につまる部分が多くあります。
例えば出だしの部分。
そうだうれしいんだ 生きるよろこび たとえ 胸の傷がいたんでも
子ども向けのスーパーヒーローのテーマ曲にしては何とも陰の部分があるような出だしですよね。
とても曲調がポップなのでなかなか子どもの頃に気付くことはできませんでしたが、改めて見てみると何とも深い。
最初に「軍歌」だと書きましたが、この軍歌は戦争に行く兵隊さんたちを勇気づけるための軍歌ではなく、戦争で犠牲になってしまった人たちに贈る歌ともされているんだそうです。
というのも、このアニメで使われているアンパンマンのマーチは1番ではなく2番なんだということなんですね。
ええ?!
タイアップ曲では良く2番はハショラレテエンディングに飛ぶとかいう構成はありますが、いきなり1番まるまるすっ飛ばし!というのは初めて聞きました。
では何故そんな前代未聞のような事態になったのか。
それは1番の歌詞があまりにも悲しいからなんだそうです。
1番の歌詞は
なんのために生まれて なにをして生きるのか
こたえられないなんて そんなのはいやだ!
となっています。
実はやなせたかし先生は、戦争で弟を亡くしています。
亡くなってしまった弟の変わりに自分が何をしてどう生きていくのか、そんな志を胸に秘めているようにも感じられますよね。
そして身内を戦争で亡くしてしまったという人は、きっと日本中にたくさんいたことでしょう。
やなせたかし先生の周りにもたくさんいた、いや、戦後はそんな光景珍しくもなかったとうことなんですよね。
だからこそやなせたかし先生はアンパンマンのマーチに戦争で失ってしまった人たちに思いをはせ、立ち上がろうとする周りの人たちへのエールを送ったんだと思います。
トルコ行進曲は2つある
トルコ行進曲、と聞いて思い浮かべるのはどんな曲ですか?
こちら、モーツァルトが作曲した「トルコ行進曲」です。
正式には「ピアノソナタ第11番『トルコ行進曲付き』第3楽章」なんですね。
そしてもう一曲、有名な曲がありますよね。
それがこちら。
これはベートーベンが作曲した「劇付随音楽『アテネの廃墟』の行進曲」となっています。
どちらも「トルコマーチ」なんですよね。
しかしそれにしてもなぜ2人とも「トルコ」だったのでしょうか?
それは当時の時代背景が大きく起因しています。
発端は160年代後期にオスマン帝国が2度ウィーンを包囲した時、「メフテル軍楽隊」というものにあります。
戦争の士気を高めるために軍隊マーチがたくさん演奏されていたんでしょう。
その音楽を聞くとオスマン帝国の軍隊が近づいてくるということからウィーンの人々は恐怖を感じたのではないでしょうか。
更に17~18世紀になると大帝国となったオスマントルコへの怖れと憧れから「トルコ趣味」が流行るようになりました。
西洋音楽にも「トルコ風」というのが影響していたんですね。
ちょうどこの頃、活躍していたのがモーツァルトやベートーベンといった偉大な作曲家たちなのです。
トルコ行進曲の他にも2人は
- オペラ「後宮からの誘拐」・・・モーツァルト
- 歓喜の歌・・・ベートーベン
といったトルコ風の作曲をしているんですよ。
稀代の作曲家たちも、時代風景や流行りには敏感だったということですね。
例文①3月の朝礼のスピーチ「マーチ・行進曲の日」
いよいよ3月になり冬の気配も少なくなってきました。
そうはいってもまだまだ三寒四温。
暖かい日もあれば寒い日もありますので体調管理に努めていきたいと思います。
さて3月1日は「マーチ・行進曲の日」なんだそうです。
3月は英語で「March」といことからこの日を制定したんだそうですよ。
世界には多くの行進曲があります。
元々、行進曲というのは軍隊が進軍する時に奏でられていた音楽でした。
1,2!と歩みを合わせることで連帯感などを持って進軍し、恐怖心に打ち勝てるようにとしていたんですね。
そんな行進曲ですが、国民的アニメのキャラクターもマーチを持っているのを知っていますか?
そいう、勇気100倍アンパンマンの「アンパンマンのマーチ」です。
誰もが知っている曲といっても過言ではないでしょう。
シンバルとドラムから始まるあの曲はかかるとなんだかワクワクするような気持ちになりますよね。
しかし、その歌詞をじっくり見てみると実は子ども向けのアニメの主題歌にしてはなかなか深い内容の歌詞になっているんです。
例えば、「そうだ おそれないで いきる喜び たとえ胸の傷がいたんでも」といった場所ですとか、「何が君の幸せ 何をして喜ぶ 分からないままなんて そんなのはいやだ」ですね。
ストレートな表現ではありますが、ドストレートな正義のヒーローといった感じかというと少し「陰」があるように感じませんか?
この曲の作詞は作者であるやなせたかしさんです。
やなせたかしさんはアンパンマンのマーチに「反戦」をテーマにした歌詞を書いたんじゃないかと言われているのです。
アニメなどでかかることはありませんが、アンパンマンのマーチの3番目の歌詞の部分。
『光る星は消える だから君は行くんだ ほほえんで』
というところがあるんですね。
戦争というテーマを頭の中に入れて考えると、まるで「特攻隊」のことを歌っているようにも感じませんか?
しかもこの歌詞の続きには『たとえどんな敵があいてでも』とあります。
やなせたかしさんは、戦後、身内を亡くしてしまった知り合いや友人たちをみて元気を出して欲しいという気持ちをアンパンマンのマーチに込めたのかもしれませんね。
3月は何かと忙しい時期でもありますが、アンパンマンのマーチでエールを貰って何とか新年度に繋げていきましょう。
3月の朝礼のスピーチ②「遠山の金さんの日」
この金さんの桜吹雪、見事散らせるもんなら散らしてみろぃ!
という決め台詞と共に、遊び人の金さんが何故か遠山金四郎景元(とおやまきんしろうかげもと)という江戸町奉行で悪人たちを成敗していく。
完全に、毎週勧善懲悪の時代劇でしたね。
しかし、毎週必ず同じ流れになると分かっているのに本気で悪代官にイライラし桜吹雪が見えた瞬間には「やったー!!」と喜んでしまう。
素晴らしいエンターテイメントだと思います。
そんな遠山の金さんにも記念日があったんですよ。
それが3月2日で1840年のこの日に江戸町奉行に就任したんだそうです。
遠山の金さんは異例の出世
遠山金四郎景元という人物は実在の人物です。
死後、講談師や歌舞伎の演目としてその物語が多く広まりました。
陣出達朗(じんで たつろう)さんが書いた時代小説「遠山の金さんシリーズ」でその人気を不動のものにもしました。
そんな遠山金四郎景元ですが、遠山左衛門景元(とおやまさえもんのじょうかげもと)となりますよね。
これは江戸町奉行になれたからなんですよね。
では、その家柄はどうだったのかというと中堅の旗本であったんだそうです。
本来は江戸町奉行になれるような立場ではなかったんだとか。
なのに異例の出世を遂げることができたのはどういったことなのか?
まさか正義の味方の金さんが賄賂!?とも思いましたがどうやら違うようです。
遠山金四郎景元のお父さんは寛政の改革の時に優秀な人材を確保するために行われた「学問試(がくもんためし)」に臨んだんだそうです。
寛政の改革と言えば、享保の改革・天保の改革と並ぶ三大改革の1つで松平定信が行ったものです。
それまで田沼意次の悪性がはびこっていましたからこれをただすための大改革だったと言えるでしょう。
そんな寛政の改革で「学問試」。
これに金さんのお父さんは見事合格します。
そして手柄も着実に重ねていったんですね。
本当に優秀なお父さんだったんですね。
この手柄があって、遠山の家柄はうなぎ登り!
この流れで、息子の遠山金四郎景元が江戸町奉行に就任したというわけです。
お奉行様になる人の間ではなかなか庶民派だったようですね。
それもこれも寛政の改革があったからこそです。
この改革がなければ「遠山の金さん」は永久的に存在していなかったかもしれません。
遠山の金さんがなぜ歌舞伎で人気なのか?
遠山の金さんの逸話を広めたのは歌舞伎の力が大きいんだそうです。
というのも、歌舞伎の演目として何度も遠山の金さんを上演したからなんだそうです。
何故こんなにも遠山の金さん推しだったのでしょうか?
ま、まさかここでも賄賂?!
というわけでもなく、遠山の金さんがお奉行様として働いている頃、老中は松平定信から水野忠邦に変わります。
寛政の改革は優秀な人物は身分を問わず取り上げられることもありました。
しかしその一方で、庶民の思想なども統制しようとする改革でもあったんですね。
なので風俗に悪影響を与える出版物などを盛り込んだ本を書いたとなると多くの作家が処罰されたんです。
そしてその思想の統括は歌舞伎界にものびていきます。
歌舞伎座を取り壊してしまおうという政策が出てきた時、遠山の金さんは
芝居小屋を取りつぶして反感を買うより一か所に集めて監視した方が良い。
と老中に進言し、穏便にことを進めたんだそうです。
この事を聞いた歌舞伎関係者が遠山の金さんに感謝し、何度も何度も歌舞伎の演目として上演したんですね。
遠山の金さんは「桜吹雪」じゃなかった?
金さんの代名詞とも言える「桜吹雪」のイレズミ。
町奉行をしている人がイレズミなんてしてていいのかな・・・なんて子ども心に思った覚えがあります。
しかしそんな代名詞の「桜吹雪」、実は違う絵柄だったんじゃないか?!とも言われているんです。
じゃあ一体金さんにはどんなイレズミが入っていたのか?!
それはどうやら「口に絵巻物をくわえて髪を振り乱している女性の生首」だったのかもしれない・・・んだそうです。
これは勧善懲悪の時代劇にするわけにはいきません(^^;
となると本当に遠山の金さんがイレズミをしていたのか、そこも疑わしいものです。
遠山家の子孫の人々は金さんがイレズミをしていたのを否定しています。
しかしこれは武士がイレズミをしているというのは問題であり、子孫としては大々的に「そうですよ。」とは言えなかったということでもあるのでしょう。
やっぱり武士がイレズミはご法度なんですね。
ではどうして、遠山の金さんはイレズミをしたのか?
それは彼の出生にありました。
先ほど、寛政の改革の「学問試」でナイスアシストをしたお父さんですが、元々、長崎奉行を務めていました。
しかし、金さんのお父さんは遠山家に養子に入った人物で、養父の実子を金さんのお父さんの長男としていたんですね。
つまり本当の子どもである金さんは次男とされていたんです。
武士の家、しかも中堅の旗本であれば次男は家を継ぐことはできません。
複雑な家庭環境で遠山の金さんは家を飛び出し放蕩生活を送っていたんだそうです。
時代劇などでも見かける「遊び人の金さん」もここから来ているのかもしれませんね。
この時にイレズミを入れたんじゃないかとされているんだそうですよ。
文例②3月の朝礼のスピーチ「遠山の金さんの日」
3月になりました。
春が近づいてきています。
そうなると早いもので「桜」の動向が気になる所でもあります。
今年の桜はどうなのかな?
お花見はいつが見ごろかな?なんてワクワクしてくる季節でもありますね。
そこで今日は散らない桜吹雪についてお話したいと思います。
というのも、3月2日は「遠山の金さんの日」なんだそうです。
遠山の金さんと言えば、江戸北町奉行所のお奉行様で名さばきを連発していたという人物ですね。
遠山の金さんと言えば、「桜吹雪」の刺青を最後にバーンと出して悪人を成敗!というのが一連の流れです。
しかし、実在した遠山の金さんは自分のイレズミを極端に隠していたという説もあるんですよ。
遠山の金さんこと、遠山金四郎景元は奉行所などで着物の袖がめくれるのを極端に嫌ったんだとか。
江戸時代のイレズミともなれば今のようなファッションタトゥーではなく背中一面から腕にかけて入れるタイプだったと推測されます。
そして武士が刺青を入れるというのは、江戸時代的にはタブーだったということですね。
罪人を裁くお奉行様が大々的に刺青を見せていては示しがつかないということなんですよね。
ではなぜ、時代劇などでは「桜吹雪」を大々的に見せているのでしょうか?
これは歌舞伎界が大きく関係してきます。
当時、寛政の改革で庶民の思想を統率しようとしていた幕府。
歌舞伎座の取り壊しも1つの案として上がっていました。
しかしこの窮地を救ったのが遠山の金さんであったと伝えられています。
この事を歌舞伎界の人たちは恩義に感じて「遠山の金さん」の演目を何度も何度も、彼の死後も上演したんだそうです。
ここで披露されたのが「桜吹雪」のイレズミです。
物語の終盤に欠かせない存在ですよね。
粋な遠山の金さんがきめ台詞とともに桜吹雪を見せてくれると観衆は大きな拍手で答えてくれたんだそうです。
歌舞伎界に対する名ざばきが歌舞伎界の人たちから大きな感謝を呼び、遠山の金さんは名さばきで素晴らしいお奉行様だったと伝わってきているんだそうです。
私たちも「情けはヒトのためならず」ということで、判断を誤らないようにしていきたいですね。
3月の朝礼のスピーチ③「バウムクーヘンの日」
3月4日はバウムクーヘンの日なんだそうです。
1919年に広島の広島県物産陳列館で「ドイツ俘虜展示即売会」が行われ、ここで初めてバウムクーヘンが出品されたことにちなんでこの日に制定したんだそうです。
広島県物産陳列館は、現在「原爆ドーム」になっているところなんですね。
バウムクーヘンの名前の由来は?
結婚の引き出物としても人気の高いバウムクーヘン。
その名前の由来にも人気の高さがありますよね。
バウムクーヘンはドイツ発祥のお菓子です。
そしてバウムクーヘンという名前もドイツ語です。
ドイツ語で「バウム」には「木」という意味があり「クーヘン」には「ケーキ」という意味があります。
木のようなケーキということで、バウムクーヘンの断面が年輪のような模様が浮き出ていることからこの名前がついたと考えられます。
この年輪というのがミソで、結婚式の引き出物として重宝されるのはこういったところからなんですね。
ドイツのお菓子なのにドイツでは稀少?
バウムクーヘンはドイツ発祥のお菓子です。
しかし、ドイツでは日本で見かけるほどバウムクーヘンを見かけないというのです。
日本ではデパートやスーパー、最近ではコンビニでも見かけるほどポピュラーなお菓子ですよね。
ですが、ドイツでは地域によって差がありますが、コンディトライと呼ばれるドイツ式のパティスリーでたまに売られている程度のお菓子なんですね。
ドイツ発祥のお菓子であるにも関わらず、「バウムクーヘンを食べたことがない。」とうドイツ人も珍しくないんだそうですよ。
何故、こんなにもバウムクーヘンに遭遇できないのかというと、ドイツにはケーキを表す言葉が2種類あります。
1つは「クーヘン」で、もう1つは「トルテ」という言葉です。
この「トルテ」という方が生クリームや果物などでデコレーションされているものを指すのです。
ドイツで絶対に食べたい名物スイーツが、「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ」。「黒い森のサクランボケーキ」の意味で、ほろ苦いサクランボの蒸留酒をきかせた大人の味わい。シュトゥットガルトを州都とするバーデン=ヴュルテンベルク州の黒い森地方が本場です。https://t.co/bMmpcWHm37 pic.twitter.com/gqUDs068U5
— ドイツ観光局 (@GermanyTravelJP) March 18, 2019
世界的にも有名なドイツのケーキ「シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ」も「トルテ」ですね。
この「クーヘン」というケーキはケーキというよりはどちらかというと「パン」の延長上にあるような位置づけとなっているんです。
なのでパティスリーでもバウムクーヘンを取り扱っているところはあまりないのかもしれません。
バウムクーヘンには条件がある
ドイツではバウムクーヘンが少ないとお伝えしました。
その理由の1つにドイツでのバウムクーヘンの定義というものがあります。
ドイツでは「国立菓子協会」によって「バウムクーヘンの定義」が定められているのです。
その条件とは
- 油脂はバターのみ
- ベーキングパウダー(膨張剤)は使用しない
- 職人が1本ずつ手作り
- バター:小麦粉:砂糖:卵=1:1:1:2
- 添加物を使用しない
というものです。
しかもバウムクーヘンを作るには専用のオーブンと職人がつきっきりで焼きあげなくてはいけません。
相当な労力ですよね。
なので、一部のカフェなどでしか取り扱わないということになるのです。
バウムクーヘンとバームクーヘンには違いがある?
コンビニなどで売られているものを見るとパッケージに「バームクーヘン」と表記されているものがありますよね。
これって何で?
もしかして「スパゲッティ」と「スパゲッテー」みたいなものなのかなあ?と思ったら違いました。←そりゃそうだ。
先ほどもご紹介したように、バウムクーヘンはドイツの伝統的なお菓子です。
国立菓子協会が条件を作るほど厳密にその味と製法を守っています。
しかし、日本で見かけるバウムクーヘン。
こちらは日本に伝わってきて、日本人の好みに合うように改良されたものが多いんですね。
日本人の良いところは海外の文化を取り入れて独自に進化させていくことだと個人的に思っています。
となると、ドイツの国立菓子協会が掲げているバウムクーヘンの条件・・・・。
なかなか難しいですね。
コンビニやスーパーなどで大量に売られているものには色んなフレーバーがついているものもありますよね。
無印良品のバウムクーヘンにハマっていろんなの沢山買って来た!
一番おすすめはチョコがけバナナバウム! pic.twitter.com/MzB6DNXxr1
— ダイジョウ🧔🏻/FUNNY (@Dayjo098) February 17, 2021
- 紅茶
- コーヒー
- いちご
- 抹茶
- キャラメリゼされたもの
- さくら
などなど。
これらのフレーバーをつけるために添加物が使われることもあるでしょう。
更に、大量生産しますので、職人が1本ずつ丁寧に焼き上げるというのが難しい場合もあります。
更に日本人の口にあうようにベーキングパウダーを使ってフワフワに仕上げているということもあります。
といったことから「バウムクーヘン」ではなく「バームクーヘン」としていることが多いのかもしれません。
バウムクーヘンの本当の食べ方は?
日本では、バウムクーヘンをホールで買って帰ると、他のデコレーションケーキやシフォンケーキのように真上から垂直に包丁を入れて扇型に切って食べるというのが定番だと思います。
しかし、本場ドイツではバウムクーヘンは削ぎ切りして食べるのがおいしい食べ方なんだそうです。
先日結婚記念日だったのでユーハイムのバウムクーヘンを食べました🤤(ユーハイムおすすめの削ぎ切りスタイルで) pic.twitter.com/HvIsNaYUrB
— ぽより (@poyoricha) November 22, 2022
こうして食べると生地の目が詰まらず軽い口当たりになるんだそうですよ。
バウムクーヘンを食べた時に感じる、モッサリとした感覚が苦手な方は試してみるのも良いですね。
文例③3月の朝礼のスピーチ「バウムクーヘンの日」
おはようございます。
3月4日は「バウムクーヘンの日」なんだそうです。
手軽に食べられるお菓子として色んなところで見かけるアイテムですよね。
結婚式の引き出物や記念日のプレゼントとしての人気も高く、私は少し温めて食べるのが好きです。
そんなバウムクーヘンはドイツ発祥のお菓子です。
ですが、意外にもドイツではそこまでポピュラーなお菓子ではないんですね。
日本でたとえるなら、「生八つ橋」のようなものでしょうか。
日本人ならその名前は知っているけれど、どこでもかしこでも売られているようなお菓子ではないという存在なんですね。
ではなぜ、バウムクーヘンはドイツで希少価値の高いお菓子なんでしょうか?
それはバウムクーヘンが伝統的なお菓子であり過ぎるためです。
ドイツ発祥のバウムクーヘンはドイツの国立菓子協会がその条件を厳しく制定して昔ながらの製法や味を守っています。
例えば「ベイキングパウダーを使わない」「添加物を使わない」「職人が1本ずつ焼きあげる」などです。
この厳しい条件をクリアしてバウムクーヘンを取り扱おうという人は少ないということなんですね。
だとしたら日本でこんなにもバウムクーヘンを見かけるというのはどういったことなんでしょうか?
皆さん、コンビニなどにいった時に注意深く見て欲しいのですが、パッケージにはもしかしたら「バームクーヘン」と書かれているかもしれないのです。
「ウ」とするか「-」とするか。
この2つの間には大きな隔たりがあるといっても過言ではないでしょう。
ドイツにおいて「バウムクーヘン」と言うのはベーキングパウダーなどを使わない素朴なお菓子です。
どちらかというとパンの親戚のようなお菓子なんですね。
一方、日本で見かける「バームクーヘン」ですが、こちらは日本人の好みに合うようにフワフワ食感にするためにベーキンウパウダーを使ったり、様々なフレーバーにするために添加物を使う場合もあるわけです。
このように一見同じに見えるお菓子もその中身を知ると違いに気付くことができるんですね。
どちらにも良い面があります。
名前や肩書などで判断せずに、その人の中身を見ていくというのは人付き合いに通じるところがあるなあと感じたバウムクーヘンでした。
3月の朝礼のスピーチ④「スポーツ新聞の日」
1946年3月6日に日刊スポーツ新聞社から日本で初めてとなるスポーツ新聞「日刊スポーツ」が創刊しました。
その事を記念して、3月6日をスポーツ新聞の日としたんだそうです。
最初に創刊されたスポーツ新聞は1万5千部で、すぐに完売したんだそうです。
この時の見出しは「さあ明るく朗らかにスポーツだ」という言葉だったんだそうです。
戦後の日本にとってスポーツというものは明るくささやかな夢でもあったとされています。
世界初のスポーツ新聞はどこから?
スポーツ新聞は日本独自の文化ではありません。
世界各国で発行されています。
内容は日本のスポーツ新聞とは違ってスポーツのみ!というところが多いようです。
日本のスポーツ新聞というと
- 政治
- 経済
- 芸能
- エンターテイメント
などなどといった様々なコンテンツが盛り込まれていますよね。
そんなスポーツ新聞のルーツはイギリスで18世紀に配布されていた「レーシング・カレンダー」ではないかと言われています。
中身は競売の開催予定やルールを伝えるものだったんだそうですよ。
19世紀になると様々なスポーツのルールも整備され、スポーツを運営する団体も次々と誕生しました。
スポーツの世界が活気づいて行くと共に、一般の新聞にもスポーツ欄が設けられるようになったんですね。
そして1822年、イギリスで世界初のスポーツ新聞、「ベルズ・ライフ・イン・ロンドン」というものが刊行されます。
当時は貴族の間でも流行っていた競馬についての内容が主でした。
日本のスポーツ新聞は系統化されている
日本のスポーツ新聞はスポーツ以外にも娯楽であるとか政治経済であるとか多才なコンテンツを含んでいます。
これは何故かというとそれぞれのスポーツ新聞は系統があるということなんですよね。
- 日刊スポーツ・・・毎日新聞社
- スポーツニッポン・・・毎日新聞社
- サンケイスポーツ・・・産経新聞社
- デリースポーツ・・・神戸新聞社
このような感じです。
更に言うと、スポーツ新聞の販売は基本的に平日のみで土日は休刊日となっています。
これは何故かというと会社員の出勤日にあわせているんだそうですよ。
文例④3月の朝礼のスピーチ「スポーツ新聞の日」
3月6日は啓蟄でもあります。
この啓蟄というのは、土の中で冬眠していた動物たちが春の気配を感じて活動をし始めるといった意味があるんだそうです。
ゆっくりと季節が春に向かっている証拠ですね。
暖かくなるとこもりがちだった生活を抜け出して、どこかにでかけたり、体を動かしたりしたくなるものです。
スポーツの秋と言いますが、今年はスポーツの春にしてみても良いなあと個人的に思いました。
さて、3月6日にはもう1つ記念日があります。
それは「スポーツ新聞の日」なんだそうです。
1946年の3月6日に日本で初めてのスポーツ新聞が発行されたことにちなんで制定されたんだそうですよ。
当時、発行された1万5千部は飛ぶ鳥を落とす勢いで完売したんだとか。
戦後日本においてスポーツの話題というのは明日を生きるための活力となっていたのかもしれません。
現代では電子書籍やスマホの普及により、新聞を読むということ事態なかなか見かけないことかもしれませんね。
しかしそれでもスポーツから得られる感動というものがなくなったわけではありません。
老人の冷や水よろしく、周囲に迷惑をかけないようにしっかりと明日の活力を得るためにもこの春から何かスポーツを始めたいと思います。
おすすめがあったらどうぞ教えてください。
3月の朝礼のスピーチ⑤「記念切手記念日」
1894年3月9日に日本で初めての記念切手が発行されました。
それを記念して、3月9日は記念切手記念日と制定したんだそうです。
日本で最初の記念切手は明治天皇・皇后、両陛下のご成婚25周年(銀婚)を記念したものが発行されたんだそうですよ。
今日は「記念切手の日」。1894(明治27)年のこの日、日本初の記念切手が発行されました。明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年を記念して発行されたもので、菊の紋章の両側に雌雄の鶴2羽が描かれたデザインです。紅色で内地用の2銭と、青色で外地用の5銭の2種類でした。 pic.twitter.com/pjT3VyodBZ
— 公益財団法人 日本郵趣協会 (@kitteclub) March 9, 2019
それまで日本には切手というものはなかったんだそうです。
では、何故記念切手を発行したのかというと、そこには在留外国人の新聞投書によるものでした。
明治天皇・皇后両陛下の銀婚の祝典を記念する切手を作って欲しいという新聞の投書に逓信大臣・黒田清隆が命じ急きょ、発行されることとなったんだそうです。
しかし、この切手を発行しよう!と決めたのは銀婚の祝典まで1カ月を切っていたんだそうです。
印刷局は不眠不休で作業にあたり、普通なら1~2カ月かかる原版をたった5日で仕上げたんだそうですよ。
すごい気合いの入りようですね。
切手には面白い間違いが潜んでいることもある
切手は多くの人が使う印刷物です。
ですが、印刷ミスを起こしてしまうこともあるのです。
例えば、ドイツの切手。
作曲家シューマンの没後100年を記念して発行された切手がありました。
シューマンの自画像の後ろに彼の楽譜が印刷されるはずだったんですが。
そこに印刷されていた楽譜はシューベルトの「さすらい人の夜の歌」というものだったんだそうです。
間違いを指摘された東ドイツ当局は大慌てで販売を中止しましたが、そのほとんどが売られたあと・・・。
仕方なく楽譜をシューマンの「月の夜」に変え、切手を再発行するということになりました。
シューベルトとシューマンは、けっこう長い間、頭の中でごっちゃになっていた😅 「自分だけかな、恥ずかしいな」と思っていたけれど、なんと、シューマン没後100年記念の切手(東ドイツ)が、背景にシューベルトの楽譜を使うという大失態を犯していたことを知った。
左=誤 右=正。ちょっと安心😁 pic.twitter.com/gaK5G1qWsJ— TTM-LUPE (@TTMLUPE) February 2, 2021
他にも第二次世界大戦の終戦から間もない1947年。
ニューヨークで開催の「アメリカ切手発行100年記念切手展」で記念切手がモナコから発行されました。
切手は3種類ありましたが、その中にアメリカ大統領ルーズベルトが描かれたものがあったのです。
何故、ルーズベルト大統領だったのかというと、彼は切手の収集家としても有名だったんだそうです。
しかし、切手を見てみると、大統領の手が・・・。
ちょっと見にくいかもしれませんが、指が6本あるんですね。
もちろん印刷ミスであることは間違いありません。
日本の切手も印刷ミスがあるものがあります。
それが「北陸トンネル開通」記念切手です。
小学生の頃に切手集めてまして、北陸トンネル開通記念切手です。これエラー満載で有名なのです。キハ82に乗務員扉ない、スラブ道床なのに砂利、架線送電線本数多過ぎ、直流仕様碍子、天井に照明は無い、電化開通なんだからEF70描けヤ‥etc‥と国鉄が郵政にクレーム入れるも修正間に合わなかったと。😅 pic.twitter.com/EEjQp3sU8t
— 🍊四荷(よんに) (@iyo_exp_52) June 7, 2021
完成する前から切手を作っていたというのが印刷ミスが重なった原因でしょうか。
ミスの場所は
- ケーブルの数
- 作業用電灯の位置
- 線路部分
- ドアとはしご段
なんだそうですよ。
言われないと分からない、かもしれませんね。
切手に隠れているキャラクターがいる
切手と言うのは細部までデザインにこだわっているものなんですよね。
だからこそコレクターが増えるわけでもあります。
まずはこちら。
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これはふるさと切手で「夢の架け橋」という切手なんだそうです。
この気球の所にいる猫。
なんだかどこかで見たような感じがしませんか?
そう、世界で一番有名かもしれない猫、キティちゃんに似ていると思いませんか?
それもそのはず、この切手のデザインを手掛けたのはサンリオに勤務していた人物だったんだそうです。
最初はキティちゃんで原案を出したんだそうですが、さすがにそれは通らなかったんだとか。
でもどことなく雰囲気が残っているようにも感じますね。
続いてはこちら。
紫色の記念切手が「教育勅語50年記念」の切手です。
この切手、拡大しないと分からないレベルなのですが、明治天皇から勅語をいただいて御座所廊下をしずしずを退出する時の内閣総理大臣・山縣有朋と文相の芳川顕正が描かれてるんです。
本当に細かい作業ですね。
文例⑤3月の朝礼のスピーチ「記念切手記念日」
おはようございます。
3月9日は記念切手記念日なんだそうです。
1894年に日本で初めて切手が発行されたことにちなんで制定されました。
明治天皇・皇后両陛下のご成婚25周年を記念した切手だったんだそうですよ。
それまで切手という概念がなかった日本に初めて誕生したというんです。
そのきっかけとなったのは在留外国人の新聞への当初だったんだそうですよ。
ある日、新聞の投書に「明治天皇の銀婚記念の切手を発行して欲しい」という投書があり、時の大臣の目にとまったんだそうです。
銀婚記念の祝典まで1カ月をきっていました。
しかし、勤勉な日本人は普通なら1~2カ月かかる作業をたった5日でやり遂げたんだそうです。
今ではブラック企業と言われてしまうような働き方ですね。
日本人の勤勉さには目を見張るものがあります。
しかし、最近ではその働き方にちょっと待った!という人も少なくありません。
何でもかんでも否定したり肯定したりするつもりはありませんが、ようは「切り替え」が大切なんじゃないかなあと思います。
必要以上に責任を感じてしまったり、またその真反対で無責任というのも困ります。
これから社会経験を積んでいく中で、自分の人生を大切にしながら責任もって仕事をするということを学んでいけたらと思いました。
3月の朝礼のスピーチ⑥「サボテンの日」
サ(3)ボテン(ten=10)ということで3月10日は「サボテンの日」なんだそうです。
サボテンの花は3月に咲くということからこの日になったんだそうですよ。
このサボテンの日を制定したのはサボテンのトップメーカーであり、世界一の栽培面積を誇るサボテン園を経営する株式会社岐孝園なんだそうです。
栽培施設内にはサボテン神社まであるんだそうですよ。
おはようございます☔️
今日はサボテンの日
サボテンのトップメーカーであり、世界一の栽培面積を誇るサボテン園を経営する株式会社岐孝園が制定
3月に花を咲かすことと、日付の「サ(3)ボテン(10)」と読む語呂合わせ🌵
サボテン園は全長15km😱
施設内にサボテン神社もあります⛩#今日は何の日 pic.twitter.com/KVeo6b60d6— 中村@チャットレディ接客アドバイザー (@nakamura037) March 9, 2020
サボテンって名まえはどこから来たの?
サボテンを漢字で書くと「仙人掌」です。
しかしこれは当て字で、サボテンと読むことはできません。
何故こんな漢字になったのでしょうか。
サボテンが日本にやってきたのは17世紀の中ごろの江戸時代です。
ポルトガル人が伝えたと言われています。
サボテンは英語で「Cactus(カクタス)」と呼ばれます。
しかしポルトガル語では「シャボン」と呼ばれていました。
何故ポルトガル語で「シャボン」となったのかというと、石鹸の代わりにサボテンを使って服の汚れを落としていて「シャボンのような植物だ」と表現したことに由来しているとされています。
サボテンを日本に伝えたポルトガル人が「シャボン」と呼んでいたことから日本国内では「シャボテン」と呼ぶようになったという説があります。
では、英語の「カクタス」はどういった由来があるのでしょうか?
これはギリシャ語の「Kaktos」に由来しています。
元々“アーティチョーク”という棘のある植物を指す言葉なんだそうです。
サボテンにトゲが生えているのはなんで?
サボテンの特徴と言っても良いのが「トゲ」です。
サボテンのトゲは成長点と呼ばれる茎の先端であって細胞分裂を起こすようなところから生えてきます。
サボテンのトゲは他の植物で言うところの葉なんだそうです。
その役割は
- 保護するため
- 水を集めるため
- 空気を閉じ込めるため
- 日よけのため
- 繁殖のため
という5つの点です。
サボテンは砂漠に生息しています。
砂漠には多くの草食動物が生息していて、サボテンにとっての天敵が多いのです。
そこでトゲの出番です。
食べようとするとトゲが刺さり、二度とサボテンを食べようとは思わないことでしょう。
次に水を集める役割です。
砂漠では水が豊富にあるとは言えません。
霧がかかりますが、この時に水を集める役割をトゲが行っているのです。
霧が棘に触れることで水となって地表に落ちます。
その水をサボテンの根が吸収し蓄えるという仕組みになっています。
そして植物には空気も大切です。
空気が流れると乾燥を引き起こします。
しかし、棘があることでサボテン周りの空気の流れを断ち切ることをします。
これで乾燥対策もバッチリ!なんですね。
次に日よけです。
砂漠は言わずもがな日中は太陽が照りつけています。
いくらサボテンと言えども、日よけも必要になります。
この日よけの効果も棘が担っていると言えるでしょう。
最後に繁殖です。
種族を残していくには繁殖も重要なんです。
多肉植物を育てたことがある人はご存知だと思いますが、彼らの繁殖力はとても強いのです。
茎を途中で切って土中に指しておけば新芽が出てくるなんていうのも珍しくありません。
それが棘にも適応されます。
外敵から身を守る時に、サボテンから抜けたトゲは少し離れた新しい場所で見つかることもあります。
こういった棘によって生育範囲が広がり繁殖していくという仕組みなんですね。
本当にトゲがあるには大きな理由がありました。
食べることができるサボテンがある?
食べる植物が存在するように、サボテンも食べることができる種類があります。
それは
- ウチワサボテン
- ドラゴンフルーツ
などが有名ですね。
トロピカルフルーツかと思いましたが、ドラゴンフルーツは「サンカクサボテン」の果実なんだそうです。
食べると、排泄物も赤くなるんだそうですよ。
文例⑥3月の朝礼のスピーチ「サボテンの日」
体を過ぎていく風が少し暖かさを感じました。
季節がゆっくり春に近付いていますね。
そんな3月10日は「サボテンの日」なんだそうですよ。
皆さん、サボテンは栽培したことはありますか?
私は何度か挑戦したんですが、いつもうまくいかないんですよね。
そこで少し調べてみました。
するとサボテンを育てる時には
- 定期的な水やり
- 十分な照明
- 適度な用土
- 温度
この4つが重要だと分かりました。
前回の失敗を繰り返さないためにも!ということでついつい手をかけてしまうんですが、それがサボテンに関しては良くない結果を巻き起こしていたのかもしれません。
というのも、サボテンは季節によって違いますが、1~3か月に1回程度の水やりで大丈夫なんだそうです。
これまでの自分は明らかに水のやり過ぎを感じています。
次に照明。
サボテンは砂漠に生息する植物だから・・・とガンガンに日光の当たる所に置いていたのですが、どうやらこれも良くないらしいです。
自然光が入る場所に置くのが良いのですが、窓辺に長時間置くと日焼けや変色の原因となってしまうんだそうです。
暑い時期には日向と日陰を交互に配置なんていうものも必要なんだそうですよ。
そして土です。
サボテンは水を蓄える植物です。
ですが、たくさん水がいるというわけではありません。
少しの水をしっかり蓄えるという性質があるんですね。
なので、土も水はけの良いものを選ばないとサボテンの根っこが腐ってしまうんです。
最後に温度です。
サボテンは寒さに弱い植物です。
5度を下回るとビニール袋をかぶせて保温するなどの対策が必要なんだそうです。
こうしてみると気をつけるべきところは気をつけて、放っておくところは放っておくというメリハリが必要なんですね。
適材適所と言います。
私もサボテンを見習って強みを活かし、弱点を克服していきたいと思います。
3月の朝礼のスピーチ⑦「パンダ発見の日」
白と黒の模様で、愛らしい仕草で愛されるパンダ。
そんなパンダが発見されたのが3月11日なんだそうですよ。
中国にしか生息していなかったパンダは1869年、フランスの伝道師であるルマン・ダヴィドが中国の民家で白と黒の毛皮を見ました。
今まで見たこともなかった動物の毛皮に神父ルマン・ダヴィドは驚き、ジャイアント・パンダのレプリカ標本をパリの自然歴史博物館に送りました。
その1年後に研究をすすめたミレー・エドワードがアイルロポダ・メラノレウカという学名をつけました。
アイルロポダというのは古代ギリシア語で「猫」「足」という2つの言葉を組み合わせた造語です。
メラノレウカも同じくギリシア語で「黒白の」という意味があるんだそうですよ。
パンダの名前の由来は?
パンダというとジャイアントパンダのことを思い浮かべますよね。
しかしパンダという名前がついている動物は他にもいてレッサーパンダの方が歴史は古いのです。
漢字の「猫」という字も、レッサーパンダの特徴からつけられたものなんだそうですよ。
そんな「パンダ」という名前ですが、ネパール語で「竹」を意味する「ポンヤ」から変化したという説があります。
またネパール語には「てのひら」という意味がある「パンジャ」からパンダになったという説もあります。
いずれにしてもネパール語が由来となっているようですね。
パンダは意外に獰猛
笹や竹を食べているイメージの強いパンダですが、実は肉食なんですよね。
パンダは食肉目クマ科に分類されていて、ネコ科ではないのです。
ではなぜあんなにも毎日、毎日竹を食べているのでしょうか?
これはパンダ研究家の間でも永遠の謎とされてきました。
しかし2018年、成都ジャイアントパンダ繁殖研究基地が発表した情報によると、パンダは1日の多くの時間を食事に費やします。
強力な顎で竹をすりつぶしているんですね。
しかしその食べた量に対して体に吸収できるのは20%なんだそうです。
残りの80%はフンとなって排出されるんだそうです。
たくさん食べてもあまり吸収できない。
ということはよりたくさんの竹を食べなくてはいけない。
ということでパンダはいつ見ても竹を食べている・・・ということになったんですね。
生きるために必要なエネルギーを摂取しようとなると1日の大半を費やして竹を食べなくてはいけないのです。
ではなぜそんなパンダにとってメリットの少ない竹を好んで食べるようになったのでしょうか?
それはパンダが生存競争を避けた結果だと言えます。
中国の山岳地帯の奥地を生息の場としていたパンダ。
そこで冬でも枯れずに1年、豊富に食べることができる主食。
それが竹でした。
またパンダのように竹を主食としている他の動物もいないため争いにもなりません。
徹底的に他種族との争いを避けた結果が竹ということだったんですね。
パンダはクマ科だけど冬眠しない
ジャイアントパンダはクマ科の動物です。
しかしクマのように冬眠をすることはありません。
これはパンダの主食が竹であることが大きく影響しています。
冬眠をする他の動物たちは、自分たちの主食やえさが冬にはなくなってしまうので冬眠をして冬を越えます。
しかしパンダの主食である竹は冬でも枯れることなく食べることができるのです。
つまりパンダには冬眠をする理由がないのです。
文例⑦3月の朝礼のスピーチ「パンダ発見の日」
中国からいつもやって来ては、話題をかっさらっていくパンダ。
そんなパンダが西洋で知られるきっかけとなったのが1869年の3月11日なんだそうです。
フランスの伝道師であるルマン・ダヴィドが中国の民家で初めてその存在を確認したんだそうですよ。
そんなパンダですが、絶滅危惧種となっていましたが2016年9月に危急種というランクに引き下げられました。
中国での繁殖がうまくいっているのと、密猟が減ったというのが大きな要因だそうです。
さて、そんなパンダですが、何故いつも日本にやって来ては何年かして中国に帰ってしまうのでしょうか?
日本で生まれたパンダも何故か中国に帰ってしまいます。
結構、高いお金を払ってパンダを連れてきて何年かして返してしまう・・・。
なんだかあまり効率が良くないようにも思えますよね。
しかしここには未来を見据えたプランがあったんです。
絶滅危惧種からランクが下がったと言えども、個体数はまだまだ少なく、中国にしか生息地域がないというのも現状です。
これに加えてワシントン条約というものがあります。
ワシントン条約では商業目的の国際取引が禁止されています。
中国もこれに加盟していますので、贈与という形ではなく繁殖や研究のために貸与ということになっているんです。
それに加えて日本にくるパンダというのは大抵、オスとメス1頭ずつということが多いですよね。
2頭の間で繁殖に成功することはありますが、生まれてきた子どもたちのパートナーとなる存在はいません。
日本ではパンダの絶対的な個体数が少ないのです。
なので日本で生まれたパンダも中国に一緒に旅立つということになっているのです。
中国にいったパンダたちは新たなパートナーを見つけ繁殖していきます。
中国動物園協会は世界中で飼育されるすべてのパンダを血統登録していて何十年も先を見据え繁殖計画を立てているのです。
少しでもパンダの絶滅を防ぐべくこうして未来を見据えて動いているんですね。
先を見通して行動するということはとても必要なことです。
私も今回のことをきっかけにより一層未来を見据えた行動をしていきたいと思います。
3月の朝礼のスピーチ⑧「モスの日」
3月12日は「モスの日」です。
1972年3月12日に東武東上線成増駅前に実験店「モスバーガー」をオープンさせたことにちなんで制定されました。
モスではこの日に「感謝される仕事をしよう」という創業の原点を思い出そうという取り組みをしています。
サービスとしては感謝の気持ちを込めて「植物の栽培セット」などのプレゼントを実施しているんだそうですよ。
時には割引クーポンがつくこともあるんだそうです。
モスバーガーの名前の意味は?
モスバーガーって「MOS」なんですよね。
外国のチェーン店かと思いきや、日本発祥のハンバーガーショップでもあります。
では何故この名前なのかというと
- M・・・Mountain(山のように気高く堂々と)
- O・・・Ocean(海のように深く広い心で)
- S・・・Sun(太陽のように燃える着ることのない情熱を持って)
という意味が込められているんだそうですよ。
日本人の好みにあったハンバーガーを提供することと、注文を受けてから作るという「アフターオーダー方式」が特徴でもありますね。
モスの商品開発は苦しそう・・・
お客様のおいしいのために努力を惜しまないモスバーガー。
試作品や新商品の開発ももちろん続けています。
そんなモスの新商品開発ですが、創業者の櫻田慧さんは満腹状態で試食をしていたと言います。
これは満腹状態であっても食べておいしい商品をという信念があるんだそうです。
櫻田慧さんは亡くなっていますが、没後もその信念は受け継がれ、今でも新商品の開発担当者は満腹所帯で試食を繰り返しているんだそうですよ。
この厳しい審査を潜り抜けて商品化されたハンバーガーはやはりおいしいものが多いんですよね。
今も変わらず、看板商品であるモスバーガーが愛されているのは、こういった努力の積み重ねがあるからなのかもしれません。
日本独自のハンバーガーはモスが作った
日本人の口にあうように開発されたハンバーガーたち。
もちろん、日本人にうけないわけがありません。
その最たるものが「テリヤキバーガー」ではないでしょうか?
醤油とお砂糖のあまじょっぱさがたまらない一品ですよね。
この開発は櫻田前社長がアメリカで照り焼き風ハンバーガーを食べたことがヒントとなって開発されています。
タレが染み込まないようにレタスを挟んだりバンズを焼いたり・・・。
本当においしいということを追求し続けてくれた結果生まれた商品なんですね。
そしてもう1つ。
日本独自のハンバーガーと言えばモスの「ライスバーガー」を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
1987年に販売された商品でバンズの代わりにお米を使っています。
海鮮かきあげが個人的に一番好きですね。
実はこの商品、1992年に「ごはん食推進優良事業者表彰」の新規需要開拓部門で農林水産大臣賞を受賞しています。
ライスバーガーによりお米の消費を推進させたということが認められたんですね。
文例⑧3月の朝礼のスピーチ「モスバーガーの日」
皆さん、ハンバーガーは好きですか?
私は好きです。
特に、モスバーガーの「モスバーガー」。
あのトマトとミートソースが絶妙にマッチングしていて時々無性に食べたくなるんですよね。
そんなモスバーガーは1972年3月12日に実験店をオープンさせました。
それまでハンバーガーというものはあまり日本ではなじみがなく、マクドナルド一強とされていたハンバーガーショップにモスバーガーが挑戦した大事な日でもあるんですね。
今では日本国内におけるハンバーガーショップの店舗数は第2位となっています。
注文してから作ってくれる時間に余裕がない時にはいけないお店でもありますが、あのおいしさは本当に何物にも代えがたいものがありますよね。
さて、そんなモスバーガーですが、国から要請を受けて開発されたメニューがあるというのをご存知でしょうか?
それは1987年に誕生したライスバーガーです。
1987年というと日本ではパン食が進み、お米離れが加速していました。
この事から国からは外食産業に「お米をもっと使って欲しい」という要請があったんだそうです。
何もモスだけにあったわけではないんですね。
この時、外食団体の要職を務めていた前社長でもあり創業者の櫻田慧さんは「農家を応援したい!」という気持ちも相まって開発を開始したんだそうです。
開発には3年かかり、初代ライスバーガーは鶏つくねをはさんだ「初代モスライスバーガー」が誕生したんだそうですよ。
その後も約40種類にも渡るライスバーガーを発売しているんですから凄いですよね。
そんなモスバーガーの商品開発にはある鉄の掟があるんだそうです。
それは商品開発担当者は満腹状態で試食しなくてはならないんだそうです。
これも前社長の櫻田慧さんの教えだそうで、満腹で食べても「おいしい」商品を!という思いからなんだそうですよ。
提供される側としてはとても嬉しいですが、開発担当者の人たちは知らないところで苦労されているんですね。
さて、皆さん、モスバーガーが食べたくなってきましたか?
3月12日はモスの日ということで、割引クーポンなどが配布されることもあるようです。
お昼に、終業後にモスバーガーに立ち寄ってみてはいかがでしょうか?
3月の朝礼のスピーチ⑨「食品サンプルの日」
食品サンプルは日本発祥の文化です。
良く食堂や喫茶店のショウケースの中に食品サンプルが陳列されてあって、お店に入る前にどんなものが食べられるのか想像できたものです。
最近では食品サンプルを置いているお店も少なくなってきました。
そんな食品サンプルですが、海外では少しずつ人気を博しているんだとか。
ちなみに日付はサン(3)プ(2)ル(6)からとっているんだそうですよ。
食品サンプルは何から作られている?
食品サンプルと言えば「ロウ」で作られていると思う人もいるでしょう。
しかし、最近の食品サンプルは「ロウ」で作られているものはほとんどありません。
では一体何で作られているのか。
それは塩化ビニールを使用しています。
何故食品サンプル=ロウというイメージが浸透してしまったのかというと、テレビの取材の時にロウを使っている場面が多かったからだと言われています。
本当にメディアの力って大きいんですね。
食品サンプルには聖地がある
何と食品サンプルには知る人ぞ知る聖地が存在します。
正式に認定されているわけではありませんが、食品サンプルの発案者と言われている岩崎瀧三さんの出生地である岐阜県郡上八幡がそこです。
ここには、発案者である岩崎瀧三さんの生家があるのと同時に、食品サンプルの最大手「イワサキサンプル」もあります。
古い城下町で観光地としても有名ですが、食品サンプル目当てで訪れる人も少なくありません。
体験教室なども行われているようですので、旅行にもぴったりですね。
文例⑨3月の朝礼のスピーチ「食品サンプルの日」
日本で発祥された技術や文化というものは世界に誇れるものがたくさんあります。
その中の1つに食品サンプルというものがあるのではないでしょうか?
本物そっくりに作られた食品サンプルは、お店の店頭に並べられ、どんな感じか想像しながら、メニューを考えることができる素晴らしいアイテムです。
本当にそっくりでテレビ番組では見分けるクイズもあるほどですよね。
しかしそれって本当の本当に見分けられないものなのでしょうか?
答えから言うと食品サンプルと本物では見分けられないということはほとんどないんだそうです。
どうしても本物独特の光沢や匂いなどが食品サンプルからはしないからというのが理由なんだそうです。
では、テレビ番組は全てがヤラセなのでしょうか?
実はそうとも言えない場合もあるんです。
それはどんな時かというと
- 物と見分けがつきにくい特定の食材で作る
- 見せ方や置き方を工夫する
といった場合なんだそうですよ。
このコツを押さえれば区別をするのは少し難しくなりそうですね。
最近では食品サンプルを自宅で作れるキットも販売されています。
ハマル人はガッツリはまってしまうかもしれない食品サンプルの世界。
一歩踏み出してみてはいかがでしょうか?
3月の朝礼のスピーチ⑩「体内時計の日」
3月31日は体内時計の日なんだそうです。
新年度が始まる前日に体内時計を見直して、健康に新年度をスタートさせて欲しいという気持ちで制定されたんだそうですよ。
健康意識の高まりと共に、体内時計を気にしている人も多いですよね。
そんな体内時計には色々と素晴らしいメリットが多いんだそうです。
体内時計って結局なんなの?
体内時計というのは1日のリズムにそって血管や臓器の働きを調整する自律神経やホルモンの分泌などをコントロールする「からだの司令塔」と呼ばれている部分です。
時間が分からない場所にいてもそれなりに食事や睡眠の時間が分かるようになっているんですね。
ですが、人間の体内時計というのは25時間周期とされています。
となると地球の1日の周期と比べると1時間ずれてしまうんですよね。
なのでこのズレを修正するために体内時計のリセットをしなくてはいなくなるのです。
体内時計のリセット方法は?
人間の体内時計は25時間周期。
となると昼夜逆転にいずれはなってしまうのではないか?と不安に思った人もいるでしょう。
しかしそういったことは基本的には起こらなくなっています。
というのも、体内時計は結構簡単にリセットすることができるのです。
そのリセット方法は環境の変化から刺激を受けることでできます。
この刺激のことを「同調因子」と呼ばれていて、一番強力な同調因子は「光」だとされています。
つまり、朝起きて一番に日の光を浴びるということは最も最強な体内時計のリセット方法だと言えますね。
逆に言うと、夜勤などで昼夜逆転の生活を送っている人は生活リズムが乱れがちになってしまいます。
それもこれもこのリセット機能がなかなか働かないからなんでしょうね。
体内時計には数種類ある
体内時計と一口にいっても実は色んな種類の体内時計があるのを知っていますか?
何種類もある体内時計がいくつか存在し、連携し合うことで厳密に調整をすることが可能になっています。
一番メインとなっているのは、ここまで紹介した1日単位のリズムを調節する日周リズムで別名サーカディアンリズムと呼ばれています。
他にも
- 1週間単位の週内リズム
- 1年単位の周年リズム
- 1カ月単位の周月リズム
- 90分単位の90分リズム
などがあります。
よく睡眠時間は90分単位で確保すると目覚めが良いとされているのはこの90分リズムを踏まえてのことなのでしょう。
体内時計と糖の関係
様々な体内時計の中でやはり一番メインとなるのは日周リズムです。
このリズムを整えるには朝食の存在も欠かすことができません。
栄養バランスをしっかり考えて食べるということは必要ですが、糖質をしっかりと摂取するということも大事な要素なんだそうですよ。
朝食にはパンやご飯などの糖質をとることで体内時計がリセットされ、代謝を高める作用も確認されているんだとか。
1日の始まりに糖質をとって速やかに脳の栄養としていく点でも朝食の糖質は欠かせないですね。
文例⑩3月の朝礼のスピーチ「体内時計の日」
いよいよ3月も最終日となりました。
今年度も今日でおしまいです。
明日からは心機一転、新年度がスタートします。
そんな境目の今日は「体内時計の日」なんだそうですよ。
3月は本当に忙しかった。
皆さん、お疲れ様です。
きっと健康に気を遣うヒマもなかったという人も多いでしょう。
そんな皆さんのために今日があります。
今日は新年度に向けて、心も体もリセットする日なんです。
そのリセットでも簡単に誰でも行えるのが体内時計のリセットです。
難しいことは何ひとつありません。
人間の体内時計には様々な周期のものがありますが、一番大切なのは1日を周期としている日周リズムと呼ばれるものです。
人間の日周リズムは25時間周期なんだそうで、誰もが気付かないうちに毎日リセットしているんだそうです。
ではその方法は何かというと、朝起きてお日様の光を浴びることです。
しかもそんな長い時間は必要ありません。
お部屋のカーテンを開けてお日様を見る。
これだけでOKなんだそうですよ。
では雨の日は?
そう、お日様はいません。
しかし朝になって部屋の電気をつける。
これだけでも体内時計のリセットに役立つんだそうです。
あわせて朝食です。
腹時計という言葉がありますよね。
あれも体内時計の仲間のような言葉です。
そんな腹時計、朝食にパンやご飯などの糖質を摂取します。
すると代謝はあがり、ホルモンバランスも整うというメリットしかない未来が広がっているのです。
良く、炭水化物だからパンやご飯は・・・という人もいますよね。
確かに摂り過ぎは体によくありません。
しかし、朝食に適量を食べることでメリットを受けられるという研究結果も出ています。
新年度、より体内環境を整えて素晴らしい人生を送るために習慣づけるというのはいかがでしょうか?
朝礼のスピーチって案外何でもネタになる
いかがでしたか?
3月に合わせた朝礼のスピーチネタを10個例文付きでご紹介しました。
なかなかスピーチは難しくもありますが、プレゼン次第では自分の力となって培われていくものでもあります。
どうぞ、頑張ってくださいね。