時代によってその土地の名前というのは色々と変わってきました。
今のように47都道府県となったのは1871年の廃藩置県が始まりでした。
その後、統廃合が繰り返されて今のような感じになったんですね。
なぜ47全て『県』としなかったのでしょうか?
そこで今回は、47都道府県の呼び方の違いについて詳しくご紹介したいと思います。
どうして大阪と京都だけ『府』なのかについてもみていきましょう。
まずはそれぞれの意味を見てみよう
1都1道2府43県ですが、それぞれの言葉には意味があるんですよ。
そこでまずはこの4つの言葉の意味や違いをご紹介していきましょう。
『都』ってどんな意味?
『都(と)』は日本自治体の区分のひとつにあたります。
日本で使う場合は「東京都」のことを指すのがほとんどですね。
良く都知事が「都としましては」なんて言葉を使っていると思います。
これはもちろん「東京都」のことで、今では「東京都」を略した言葉としても使われているものです。
実は、東京都は廃藩置県の頃からずっと「東京都」であるというわけではありません。
江戸という地名で呼ばれていた地域は廃藩置県によって
- 東京府
- 東京市
という2つの地名で呼ばれることとなりました。
現在の23区がある中心部が「東京市」で、そこを含めた地域が「東京府」という感じだったんですね。
しかし、1943年。
東京都は日本の首都としてこの2つを合併させ「東京都」として生まれ変わりました。
最近では「大阪都構想」という言葉を聞いたこともあるかと思います。
まさにそれはこれのことで、府と市で別れて行われてきた行政を一本化するという役割も担っています。
『道』ってどんな意味?
『都』と同じように、『道』も1つしか存在しない区分です。
これは北海道の特殊な成り立ちが大きく関係してきているのです。
北海道は元々「藩」としての名前や支配体制は存在していませんでした。
『蝦夷地(えぞち)』と呼ばれていて、日本政府の影響の届きにくい土地とされてきました。
しかし、日本の一部であるという認識はあり、困った明治政府は1869年(明治2年)に『蝦夷地』から『北海道』と名前を変更したのです。
これは『道』が自治体の区分の1つの呼び方であるという認識はこの時にはありませんでした。
『北海道』という言葉でその土地を表す言葉となって行ったんですね。
北海道と名付けたのは、幕末の探検家、松浦武四郎(まつうらたけしろう)であるとされています。
彼は、明治2年に政府に名前に関する意見書を提出します。
そこには、蝦夷地の新しい名前が6つ候補として記されていました。
それは
- 日高見(ひたかみ)
- 北加伊道(ほっかいどう)
- 海北
- 海島
- 東北
- 千島
であったようです。
この中の北加伊道の「加」「伊」が「海」と変更されて「北海道」となったんだそうです。
実は古代日本から
- 東海道
- 南海道
- 西海道
などの名称があったので、北海道という名前が一番しっくりきたのではないか、とも言われています。
聴きなじみのある言葉の方が定着しやすいですよね。
そして明治元年から蝦夷地には「開拓史」という官庁が設置されていました。
開拓史は10年計画というものを礎に開拓を推進していきました。
10年目が終わると
- 函館県
- 札幌県
- 根室県
という3つの県が誕生しています。
しかし、県を増やすということは官吏の数ばかりが増えて非効率だという批判が相次ぎ、3県は廃止され「北海道庁」というものが設置されました。
この時から、北海道は1つの大きな行政区域として「北海道」となっているのです。
ただの呼び名であった「北海道」ですが、そのまま「北海道」という自治体になったんですね。
『県』ってどんな意味?
43個の県が存在する日本。
地方自治体の区分を表すもっともポピュラーなもの(こういうと語弊がありそうですが)です。
この『県』という呼び方の由来は中国にあります。
中国では古代から地方区分として「県」というものが使われてきました。
しかし、「けん」という読み方ではなく「あがた」という読み方で使われていたのです。
「県」が日本に登場したのは明治元年です。
この時は「府」となった都市以外の地域全てが「県」となりました。
「府」と「県」の違いについては次の段落で詳しくご紹介したいと思います。
『府』ってどんな意味?
現在では大阪と京都しかない『府』という呼び方。
これも自治体の区分の1つとなっています。
『県』と『府』の間に役割的な違いは今はありません。
というのも、明治初期はその違いがあったからです。
再三言っているように、廃藩置県によって全国の自治体の名称は変わりました。
読んで字のごとく、藩を辞めて県にしますよ、という法律です。
しかしここで全てを「県」という呼び方にはしなかったんですね。
『都』と『道』については先ほど説明したような経緯を持って制定されています。
では『府』は?
明治初期、『府』は11か所ありました。
それは
- 江戸府(のちの東京府)
- 京都府
- 大阪府
- 神奈川府
- 新潟府
- 越後府
- 甲斐府
- 度会府
- 奈良府
- 函館府
- 長崎府
です。
何故一律で「県」としなかったのかというと「府」の言葉の意味からも分かります。
「府」という言葉には「軍事・政治の拠点や大都市」という意味があるんだそうです。
大政奉還後に明治政府は、幕府直轄地の中でも奉行が支配していた土地や開港した港などがある地域を『府』としたんですね。
しかしその後、11あった「府」は改修などで名前を変えていきます。
- 江戸府(東京府)・・・1943年東京都
- 神奈川府・・・1876年神奈川県
- 新潟府、越後府・・・1876年新潟県
- 甲斐府・・・1871年山梨県
- 度会府・・・1876年三重県
- 奈良府・・・1887年奈良県
- 函館府・・・1882年函館県のちに北海道
- 長崎府・・・1883年長崎県
このように色々な統廃合を繰り返して今の形に近づいて行ったようです。
というのも、1869年に太政官布告が発令され「大阪、京都、東京以外は”府”と呼ばない」とされたからだそうです。
このため、今では東京を除く2つの都市が”府”として残っているんですね。
なんで大阪と京都だけが”府”なのか
現在、自治体の区分では『県』も『府』も大きな違いはありません。
どちらも自治体の区分の種類の1つになっています。
なので、言ってみれば大阪府が大阪県になることも、京都府が京都県になることも難しいことではないんです。
あまりしっくりは来ませんが(^^;
昔から使われている『大阪府』と『京都府』という言葉。
他の地域が統廃合を繰り返して「県」になっていったのに、何故1869年の太政官布告ではこの2つだけ特別扱いを受けたのでしょうか?
東京と大阪と京都の関係
東京、大阪、京都と言えば、歴史の中心地としても大きな意味をなしてきた場所です。
天皇がいる京都という都。
商業の発展を促進させている経済の都、大阪。
そして長年幕府が置かれていた江戸という東京。
この3つの場所を当時の政府が特別扱いを行ったとしても何も不思議はないですね。
そしてそこに戊辰戦争というものが起こります。
西郷隆盛が起こしたこの戦争は、日本全国を巻き込むとも言われていました。
この戦禍はどこにどんなダメージを与えるのか、発足したばかりの明治政府には予測もつかなかったことでしょう。
この事から、『府』という名前をつけた地域は”首都候補の地”だったのではないかという説もあるそうです。
もちろん、大本命はインフラなどの面から見て東京でした。
しかし、先ほど言ったように戦争の影響がどこまで及ぶか分からなかった。
だから3つの大都市を『府』として残したのではないかということです。
その後、戊辰戦争も集結し、東京府は東京市と合併し東京都となります。
これで日本の首都は東京都となったんですね。
そしておこで、大阪と京都は「県」にならず「府」となったんです。
それは1947年の「地方自治法」でも大阪と京都のみ『府』として記載が残って行ったということなんですね。
名前がつけられた最初は意味の差がありましたが、現在ではそこに違いはありません。
どちらも自治体の区分ということになっているんですよ。
最初は違ったけれど
明治政府はこれまでの江戸幕府のやり方をどうにかなくして自分たちの新しい世界を切りひらこうとしていました。
その1つの政策として廃藩置県があるのは有名です。
これまで色んな藩として点在していた自治体を統廃合して47までにしたというのもなかなか苦労があったことでしょう。
最初は呼び方1つでその自治体の重要度などが分かるようになっていました。
しかし、現在では、どこの自治体も呼び方が違うというだけで同じサービスが国から受けられるようになっています。
あなたのすんでいる場所も、こんな名前の移り変わりがあったんだ・・・なんて感じることができるのはとても面白いですね。
以上「都道府県と呼び方・言い方が違うのはなぜ?意味の違いについても簡単わかりやすく説明!大阪と京都だけなぜ府」をお送りしました。