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刀剣乱舞(とうらぶ)のキャラの元ネタ!日本刀の資料一覧!

今、大人気の刀剣乱舞。略して「とうらぶ
刀剣乱舞とは日本刀を擬人化したキャラが大活躍するオンラインゲームです。

様々な日本刀と、萌える男子キャラが出てくることで両方のファンを取り込んでいます。
この辺の構造なんかは『艦隊これくしょん』と一緒ですね。

そして、キャラの元ネタとなっている日本刀についても気になっている人が多いんじゃないでしょうか。
そこで、この記事では、刀剣乱舞の登場キャラを一覧にし、元ネタとなった日本刀の資料などもまとめていきたいと思います。

題して「刀剣乱舞のキャラと元ネタの日本刀のまとめ!」。
スタートです♪

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三条宗近 縁のもの(42の内6つ 全体の約14%)

三条宗近の作品

三日月宗近(みかづきむねちか)

絵師 沙汰
CV 鳥海浩輔

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

時代    平安時代
種類    太刀
銘     三条
製作者   三条宗近
主な所有者 足利家、三好政康(永禄の変の戦利品として)、豊臣秀吉、高台院、徳川家
現在    国宝 東京国立博物館蔵

刀身に鎬と反りのある形式の日本刀としてはもっとも古いものの一つ
うむ。だから「要するにまあ、じじいさ。ははは。」なワケですw

名前の由来は、刀身に三日月形の打除けが数多くみられることによるものとされている。
「天下五剣」の中でも最も美しいと言われているもの。
※「天下五剣」は他に、童子切り、鬼丸、大典太、数珠丸。

太平洋戦争後に、徳川家から個人所蔵家に渡り、1992年(平成4年)に東京国立博物館に寄贈されました。

小狐丸(こぎつねまる)

絵師 沙汰
CV 近藤隆
画像 なし

時代    平安時代
種類    太刀
製作者   三条宗近
現在    所在不明

能の「小鍛冶」に出てくる刀。
帝の守り刀の依頼に対し、三条宗近が満足のいく刀を打てずに困っていた時のこと。
彼の氏神である稲荷明神が童子に化けて相槌を振って完成させたといわれる。

三条宗近の弟子の作品

鶴丸国永(つるまるくになが)

絵師 Izumi
CV 斉藤壮馬
画像

時代    平安時代
種類    太刀
銘     国永(名物鶴丸)
製作者   五条国永(三条宗近の弟子)
主な所有者 平維茂、秋田城介、安達貞泰、北条貞時、織田信長、御牧景則、仙台伊達家
現在    皇室御物

享保名物帳も所載されている名刀で茎の形状は特徴的な雉子股茎をしている。
なぜ鶴丸という名前になったかは不明。

太刀拵に「鶴」の文様があったからとも言われている。
鎌倉時代後期、第9代執権北条貞時は、この刀が欲しくて安達貞泰の墓を暴いたとも言われている。

諸家を渡り、享保年間に仙台伊達家へ。
その後、明治天皇へ献上され、皇室御物となる。

三条宗近の作品と言われているもの

今剣(いまのつるぎ)

絵師 しきみ
CV 山下大輝
画像 なし

時代    平安時代
種類    短刀
製作者   三条宗近(『義経記』より)
主な所有者 東光坊蓮忍(『義経記』より)、源義経(『義経記』より)
現在    実在せず?

『義経記』の中で源義経が自刃に用いたことになっている刀。
鞍馬寺別当の東光坊蓮忍ぶが名づけた。
刃長6寸5分。

「三条小鍛冶が宿願有りて、鞍馬へ打ちて参らせたる刀の六寸五分ありけるを、別當申し下して今の劒と名づけて秘蔵しける」

『義経記』より

※『義経記』自体が創作の可能性が高いため、『三条宗近の作品と言われているもの』に入れました。

岩融(いわとおし)

絵師 キナコ
CV 宮下栄治
画像 なし

時代    平安時代
種類    薙刀
銘     岩融
製作者   作者不明(三条宗近?)
主な所有者 武蔵坊弁慶
現在    不明

武蔵坊弁慶が使ったとさえれる薙刀。
刃の部分だけでも1メートル以上ある大きなものだったとされる。
作者を三条宗近とする話もあるが、少々疑わしい。

石切丸(いしきりまる)

絵師 細越裕治
CV 高橋英則
画像 なし

時代    平安時代
種類    大太刀
製作者   三条宗近(石切剣箭命神社由来による)
現在    石切剣箭命神社

東大阪市にある石切剣箭神社の神刀。

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粟田口吉光の作品 (42の内10つ 全体の約24%)

厚藤四郎(あつとうしろう)

絵師 汲田
CV 山下大輝
画像

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://www.tnm.jp/

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光
製作者   粟田口吉光
主な所有者 足利家、一柳直末、黒田如水(黒田官兵衛)、豊臣秀次、豊臣秀吉、毛利家、徳川家綱
現在    国宝 東京国立博物館蔵 (焼身 打ち直し)

「享保名物帳」正本で最初に記載されている名刀。
寸法が短くきわめて小ぶりであるが、刀身が極端に厚いことから「厚藤四郎」と呼ばれた。
「鎧通し」とも呼ばれ、元重ねの厚さは1センチ以上になる。

前田藤四郎(まえだとうしろう)

絵師 問
CV 入江玲於奈
画像 なし

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光
製作者   粟田口吉光
主な所有者 前田利政
現在    重要文化財 前田育徳会所蔵

享保名物帳も所載されている名刀。
前田利政が所持していたので、この名前がついた。

前田家伝来の文化遺産を保持する前田育徳会が所持。
また、平野藤四郎も前田家が所持していたが、こちらは明治天皇に献上されている。

平野藤四郎(ひらのとうしろう)

絵師 問七
CV 浅利遼太
画像

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光
製作者   粟田口吉光
主な所有者 木村重茲、豊臣秀吉、前田利長、前田家
現在    皇室御物(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

「享保名物帳」副本の一番目に登場する名刀で、吉光の作った短刀の中で最も大振りのもの。

安土桃山時代の武将・木村重茲が摂津の商人・平野道雪から入手したため、この名前になったと伝えられている。
明治時代に前田家より明治天皇に献上され、御物となる。

秋田藤四郎(あきたとうしろう)

絵師 タカオカ
CV 山谷祥生
画像なし

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光(名物 秋田藤四郎)
製作者   粟田口吉光
主な所有者 秋田城介
現在    国宝 京都国立博物館 蔵

秋田城介(秋田実季)が所持していたことからこの名前がついた。
「享保名物帳」には載っていない御家名物。

鯰尾藤四郎(なまずおとうしろう)

絵師 てく
CV 斉藤壮馬
画像

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://blogs.c.yimg.jp/

時代    鎌倉時代
種類    脇差
銘     吉光(名物)
製作者   粟田口吉光
主な所有者 織田信雄、豊臣秀頼
現在    愛知 徳川美術館蔵(焼身 打ち直し)

小薙刀を脇差に磨り上げたもの。
“ふくら”がふっくらしており、鯰の尾を連想させる姿から「鯰尾」と呼ばれる。

織田信雄が持っていたものが豊臣秀頼に伝わる。
大阪夏の陣の際、焼身したが、その後、家康が初代・越前康継に焼き直しをさせ、、その後は尾張徳川家に伝えられた。
(同じ経緯をたどったものに一期一振がある)

※銘についてはウィキでは無銘でしたが、吉光となっているのも多く、こちらにしました

薬研藤四郎(やげんとうしろう)

絵師 石商
絵師 山下誠一郎
画像 なし

時代    鎌倉時代
種類    短刀
製作者   粟田口吉光
主な所有者 足利家、松永正久秀、織田信長
現在    行方不明

別名は薬研通吉光(やげんとおしよしみつ)。
鉄製の薬研を突き刺したことに由来する名前。

室町時代の武将・畠山政長は戦に敗れ、薬研藤四郎で切腹をしようとするが、なぜか刀が腹に刺さらない。
それに腹が立った畠山政長が刀を投げつけると、近くに置いてあった鉄製の薬研(漢方薬などを作る際に使用する摩り下ろし用の器具)に突き刺さった。

薬研に突き刺さるほどの切れ味なのに腹には刺さらなかったという話から、「切れ味抜群だが、主人の腹は斬らない」と評判になり、薬研藤四郎と名付けられた。

本能寺の変で消失ということになっているが、「大阪城落城の際に堀の中で発見され徳川秀忠に献上された」という文献が残っている。
「享保名物帳」には消失となっている。

骨喰藤四郎(ほねばみとうしろう)

絵師 てく
CV 鈴木裕斗
画像

時代    鎌倉時代
種類    脇差
銘     無銘(伝吉光 名物)
製作者   粟田口吉光
主な所有者 源頼朝、大友能直、足利家、松永久秀、大友宗麟、豊臣秀吉
現在    京都国立博物館(豊国神社から京都国立博物館に委託)(焼身 打ち直し)

元は薙刀の形だったが戦国時代に太刀に姿を変えた。
斬る真似をするだけで、骨まで砕かれるほどの凄まじい切れ味だったことからこの名前がついた。

大坂夏の陣で堀中から無傷で回収するも、江戸城明暦の大火で焼け、後に打ち直された。

乱藤四郎(みだれとうしろう)

絵師 Digital Hearts
CV 山本和臣
画像 なし

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光(名物 乱藤四郎)
製作者   粟田口吉光
主な所有者 細川勝元、阿部家(武蔵忍藩主)
現在    重要美術品 所在不明

享保名物帳も所載されている名刀。
乱れ刃となっていることから、細川勝元が所持しているときに、「乱吉光」と名付けられた。

一期一振(いちごひとふり)

絵師 シキユリ
CV 田丸篤志
画像なし

時代    鎌倉時代
種類    太刀
銘     吉光(額銘)(名物)
製作者   粟田口吉光
主な所有者 朝倉家、毛利家、豊臣秀吉、尾張徳川家
現在    皇室御物(焼身 打ち直し)

短刀の名手・粟田口吉光が、唯一、作った太刀だったので「一期一振」と呼ばれる。
磨上げた後、元の銘を切り取って、「吉光」の名がはめ込んである。(額銘)
秀吉は自らの体格に合わせて、刃長を2尺8寸3分(約86cm)から2尺2寸7分(約69cm)に磨り上げた。

大坂夏の陣で大坂城が落城した際の火災で一期一振も焼けてしまった。
大坂落城後、徳川家康は、初代・越前康継に焼けた一期一振を焼き直させ、その後は尾張徳川家に伝えられた。
(同じ経緯をたどったものに鯰尾藤四郎がある)

文久3年(1863年)、尾張藩主・徳川茂徳より孝明天皇に献上され、以後は皇室御物となっている。

五虎退(ごこたい)

絵師 思春期
CV 粕谷雄太
画像 なし

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     吉光
製作者   粟田口吉光
主な所有者 長尾景虎(後の上杉謙信)

「上杉家御手選三十五腰」のひとつ。
この名前は、明に渡った足利義満の役人が5匹の虎に襲われた際、この短刀で退けたために付けられたと言われている。

永禄2年に長尾景虎(後の上杉謙信)が正親町帝より拝領した短刀。

堀川国広の作品(42の内3つ)

堀川国広(ほりかわくにひろ)

絵師 白峰
CV 榎木淳弥
画像 模造刀

時代    安土桃山時代
種類    脇差
製作者   堀川国広
主な所有者 土方歳三
現在    不明

新撰組副長・土方歳三が愛用していた刀。
ただ、堀川国広は二尺以下の作品を作ったことがなく、土方歳三の刀は一尺九寸五分だったため贋作の可能性が高い。

山姥切国広(やまんばぎりくにひろ)

絵師 ⑪
CV 前野智昭
画像

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://aokiin.up.n.seesaa.net/

時代    安土桃山時代
種類    打刀
銘     九州日向住国広作、天正十八年庚寅弐月吉日 平顕長
製作者   堀川国広
現在    重要文化財

天正18年に堀川 国広によって作られた刀。
顕長が北条氏政から賜った相伝備前の長船長義の一振りを写した刀で、堀川国広の最高傑作といわれている。

山伏国広(やまぶしくにひろ)

ミドロ/櫻井トオル
画像

時代    安土桃山時代
種類    太刀
銘     日州古屋之住国広山伏之時造之 天正十二年二月彼岸 太刀主日向国住飯田新七良藤原祐安
製作者   堀川国広
現在    重要文化財

天正12年に、山伏修行中の堀川国広によって作られた刀。
不動明王像と「武運長久」の文字、梵字を彫刻している。

その他

和泉守兼定(いずみのかみかねさだ)

絵師 白峰
CV 木村良平
画像・模造刀

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://goodsmaekawa.img.jugem.jp/

時代    幕末
種類    太刀
製作者   11代目和泉守兼定
主な所有者 土方歳三
現在    不明

美濃国の関で活動した刀工・和泉守兼定の名で最も有名なのは、2代目。
「定」の字をウ冠の下に「之」で切ることが多いことから、「之定」(ノサダ)と呼ばれている。
ただ、土方歳三の愛刀は、幕末の11代兼定の手によるもの。

加州清光(かしゅうきよみつ)

絵師 汲田
CV 増田俊樹
画像・模造刀

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://goodsmaekawa.img.jugem.jp/

時代    江戸時代
種類    打刀
製作者   六代目加州清光
主な所有者 沖田総司
現在    不明

加州清光とは、加州(金沢)の刀鍛冶で正式には、加州金沢住長兵衛藤原清光(六代目「清光」)。
六代長兵衛清光はある日突然、非人小屋に入り、ここで名刀を打った。

加賀藩主、前田綱紀が建てた「窮民収容所」に住んでいたために「乞食清光」とも呼ばれていた。
新撰組の沖田総司が池田屋騒動で使用したのでも有名。
その際、帽子(刀の切っ先の中の刃文)が折れた。

大和守安定(やまとのかみやすさだ)

絵師 汲田
CV 市来 光弘
画像 なし

時代    江戸時代
種類    打刀
製作者   大和守安定
主な所有者 沖田総司、伊庭八郎、大石鍬次郎
現在    不明

江戸時代の武蔵の刀工・大和守安定の作品。
新撰組の沖田総司が使用していたことで有名
作風としては虎徹に似ているといわれる。

蜂須賀虎徹(はちすかこてつ)

絵師 新井テル子
CV 興津和幸
画像 なし

時代    江戸時代
種類    打刀
製作者   虎徹(長曽禰興里)
主な所有者 蜂須賀家(徳島藩主)
現在    個人蔵

甲冑師・長曽禰興里が刀工時代に打った作品。
虎徹とは長曽禰興里の入道名の一つ。

陸奥守吉行(むつのかみよしゆき)

絵師 Digital Hearts
CV 濱健人
画像

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://ja.wikipedia.org/

画像 模擬刀

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://image.rakuten.co.jp/

時代    江戸時代
種類    打刀
銘     陸奥守吉行
製作者   陸奥守吉行(土佐吉行とも呼ばれる)
主な所有者 坂本竜馬
現在    不明

陸奥国出身で土佐藩御用達の刀工の作品。
坂本家に代々伝わる刀で、坂本竜馬が暗殺されていた時にもっていたことでも有名。

歌仙兼定(かせんかねさだ)

絵師 ホームラン・拳
CV 石川界人
ツイッター内の画像

時代    室町時代
種類    打刀
銘     濃州関住兼定
製作者   和泉守兼定(通称「之定」)
主な所有者 細川忠興
現在    財団法人永青文庫所蔵

室町時代に美濃国の関で活動した刀工の和泉守兼定(通称「之定」)が打った刀。
細川忠興が家臣を36人を殺害するのに使ったもの。

忠興は殺害した36人の家臣、即ち「三十六家臣」を「三十六歌仙」として、この刀を「歌仙」と呼んだ。

燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)

絵師 藤未都也
CV 佐藤拓也
画像 なし

時代    鎌倉時代
種類    太刀
製作者   光忠(備前国長船派)
主な所有者 織田信長、豊臣秀吉、伊達政宗
現在    不明

伊達政宗が家臣を斬った際に、そばにあった燭台も切れたことから、この名前がついた。
「関東大震災により消失した」という記事がネットに出ている。
記事はこちら

同田貫正国(どうたぬきまさくに)

絵師 AKIRA
CV 櫻井トオル
画像

種類    太刀
銘     正国
製作者   同田貫藤原正国

同田貫とは肥後刀工の一群のこと。
正国の「正」は加藤清正から一字授かったと言われる。

獅子王(ししおう)

絵師 しばの番茶
CV 逢坂良太
画像

 

刀剣乱舞 とうらぶ キャラ 一覧 元ネタ 日本刀 まとめ

引用元:http://image.tnm.jp/

 

時代    平安時代~鎌倉時代
種類    太刀
銘     無銘
製作者   平安時代末期の大和刀工 豊後定秀、または高平
主な所有者 源頼政、土岐家
現在    重要文化財 東京国立博物館蔵

「獅子王」という名前は銘ではなく、刀身に付けられた「号」。
近衛天皇の代に鵺を仕留めた恩賞に、源頼政に与えられたと伝えられる。
刃長は三尺五寸五分(1メートル以上)ある大きな剣。

蛍丸(ほたるまる)

絵師 彦
CV 井口祐一
画像

 

時代    鎌倉時代
種類    大太刀
銘     表・来国俊 裏・永仁五年三月一日
製作者   来国俊
主な所有者 阿蘇氏
現在    太平洋戦争終戦時に行方不明(当時、国宝)

来国俊作の日本刀。

蛍丸は銘ではなくて号。
肥後国阿蘇神社の宝物として伝えられる。
刃長が三尺三寸四分五厘(1メートル以上)ある大きな刀。

蛍丸の由来は肥後国阿蘇大宮司惟澄が足利尊氏を九州は多々良浜で迎え撃った時の話。
惟澄は来国俊の大太刀で戦うも、劣勢となり、戦線を離脱。
来国俊の大太刀は激戦の末、刃こぼれをしており、使い物にならなくなった状態。

そんな中、惟澄は刃こぼれした刀に蛍が群がり刀を直した夢を見る。
目が覚めて、大太刀見てみると刃こぼれが全て消えていた。

その後、阿蘇家の大宮司となった惟澄は、この太刀を阿蘇神社に秘蔵し、この太刀は蛍丸と呼ばれるようになった。

鳴狐(なきぎつね)

絵師 汲田
CV 浅沼晋太郎
画像

 

時代    鎌倉時代
種類    打刀
銘     左兵衛尉藤原国吉
製作者   粟田口国吉
主な所有者 秋元家(出羽国山形藩)
現在    重要文化財 東京国立博物館蔵

平造(ひらづくり)の短刀を大きくして反りをつけたような姿をしている。
「鳴狐」という名前は銘ではなく、刀身に付けられた「号」。
鳴狐の由来は不明。

銘とは刀の作者が切る署名みたいなもので、作者の名前が入ったり、注文者の名前が入ったり、所持者の名前が入ったり、様々な種類があります。
号とはその刀自身につけられる固有の通称になります。

鶯丸(うぐいすまる)

絵師 禍津属シラノ
CV 柿原徹也
画像

時代    平安時代
種類    太刀
銘     備前国友成
製作者   備前国友成
主な所有者 足利義教、小笠原政康
現在    御物(宮内庁三の丸尚蔵館所蔵)

備前国の刀工、古備前派の備前国友成によって作られた作品。
現存する友成の刀の中でも最も古い。

室町時代の頃から鶯丸と呼ばれていたが、その由来は不明。

小夜左文字(さよさもんじ)

絵師 鈴木次郎
CV 村瀬歩
画像

種類    短刀
銘     左/筑州住(名物 小夜左文字)
製作者   左文字派
主な所有者 山内一豊、細川幽斎、小倉藩細川家、黒田家、浅野家、土井家、柴田果(刀匠)
現在    重要文化財 株式会社ブレストシーブ所蔵

享保名物帳も所載されている名刀。
享保名物帳編纂の際には京都の商人が所持
小夜中山峠での仇討ちの話と、新古今和歌集に載っている西行法師の「年たけて また越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山」という歌から名前から細川幽斎が名づけた。

江雪左文字(こうせつさもんじ)

絵師 鈴木次郎
CV 佐藤拓也
画像

 

時代    南北朝時代
種類    太刀
銘     筑州住左(号 江雪左文字)
製作者   左衛門三郎安吉(筑前の左文字派)
主な所有者 板部岡江雪、徳川家康、徳川頼宣(紀州)
現在    国宝 株式会社小松安弘興産所蔵(ふくやま美術館寄託)

江雪左文字を製作した刀工は短刀を得意としており、有銘の太刀は江雪左文字だけ。
板部岡江雪(江雪斎)の愛刀だったため江雪左文字と名づけられた。

へし切長谷部(へしきりはせべ)

絵師 小宮国春
CV 新垣樽助
画像

 

時代    南北朝時代
種類    打刀
銘     無銘(名物 圧切長谷部)
製作者   長谷部国重
主な所有者 織田信長、黒田官兵衛
現在    国宝 福岡市博物館所蔵

中心(なかご)に金象嵌(ぞうがん)で「黒田筑前守」(表)、「長谷部国重本阿(本阿弥光徳の花押)」(裏)と刻まれている。
織田信長が無礼を働いたちゃ坊主を棚ごと圧し切ったことから、この名前がついた。

織田信長が毛利攻めの総大将の羽柴秀吉を紹介する際に、黒田官兵衛にへし切長谷部を授けたと言われる。
また、織田信長から羽柴秀吉に渡り、黒田長政に贈られたという説もある。

にっかり青江(にっかりあおえ)

絵師 べっこ
CV 間島淳司
画像

 

時代    鎌倉時代
種類    大脇差
銘     羽柴五郎左衛門尉長(茎 所持銘)
製作者   備中青江派(青江貞次の作と言われる)
主な所有者 丹羽長秀、柴田勝家、柴田勝敏、豊臣秀吉、京極高次、京極家
現在    重要美術品 丸亀市立資料館所蔵

享保名物帳に所載されている名刀。
夜道で「にっかり」笑う女の幽霊を斬りつけた際、翌日に確かめたところ、石灯籠が斬れていたという伝説から名づけられたと言われている。

伝承により、斬った人物は異なっており、真相は不明。

元は2尺5寸の太刀だったが、後に2尺へ、さらに1尺9寸9分へと磨りあげられている。
茎に「羽柴五郎左衛門尉長」と入れられているが、これは磨り上げのため、途中で切れたもの。
「羽柴五郎左衛門尉長秀」か「羽柴五郎左衛門尉長秀重」だったと言われる。

太平洋戦争後に流出するが、1997年に丸亀市が購入した。

太郎太刀(たろうたち)

絵師 Digital Hearts
CV 泰勇気

時代    南北朝時代
種類    大太刀
銘     千代鶴國安
製作者   千代鶴
主な所有者 真柄直隆
現在    熱田神宮宝物館 奉納(白山比咩神社にあるものという説もある)

次郎太刀(じろうたち)

絵師 Digital Hearts
CV 宮下栄治
画像

時代    南北朝時代
種類    大太刀
銘     千代鶴國安
製作者   千代鶴
主な所有者 真柄直隆
現在    熱田神宮宝物館 奉納

越前の刀匠、千代鶴が作ったと言われる大太刀。
真柄直隆が使用したといわれる太刀が太郎太刀。
真柄直隆の子の隆基が使ったと言われるのが次郎太刀。

太郎太刀は全長3メートル、次郎太刀は全長2.6メートルと言われる。
真柄直隆は太郎太刀を馬に跨りながら振り回して戦ったと言われる。

大倶利伽羅(おおくりから)

絵師 小宮国春
CV 古川慎
画像 なし

時代    南北朝時代
種類    太刀
銘     無銘
製作者   相州廣光
主な所有者 伊達政宗
現在    法人蔵(大阪府茨木市?) 重要美術品

享保名物帳も所載されている名刀。
伊達政宗が使用していたと言われている。
倶利伽羅竜が彫られていることから「大倶利伽羅」という名前がついた。

大阪府茨木市のデータベースに大倶利伽羅の文字を見つけることができるが、この大倶利伽羅かは不明。
(データベースは、こちら)http://www.pref.osaka.lg.jp/attach/2824/00072558/ibaraki25.xls

愛染国俊(あいぜんくにとし)

絵師 Digital Hearts
CV 山下誠一郎
画像

時代    鎌倉時代
種類    短刀
銘     国俊(名物)
製作者   二字国俊
主な所有者 伊達政宗
現在    重要文化財 個人所蔵

鎌倉時代中期から南北朝時代にかけて山城国(京都府)で活動した刀工の流派の一つである来派の国俊の一振り。
来派には来国俊と国俊がいたため、後者は二字国俊と呼ばれる。

愛染国俊も二字国俊の作品。
愛染明王が彫られていることから、この名前になった。

宗三左文字(そうざさもんじ)

絵師 鈴木次郎
CV 泰勇気
画像

 

時代    南北朝時代
種類    打刀
銘     織田尾張守信長 永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀
製作者   左衛門尉安吉
主な所有者 三好宗三、武田信虎(武田信玄の父)、今川義元、織田信長、豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康
現在    重要文化財 建勲神社蔵(天明の大火に遭った後、再刃したもの)

今川義元の愛刀としても知られ、「義元左文字」と呼ばれる事もある。
桶狭間の戦い後は織田信長の手に渡り、「永禄三年五月十九日義元討補刻彼所持持刀 織田尾張守信長」と刻印している。

本能寺の変の後は豊臣秀吉、豊臣秀頼、徳川家康と渡り、以降、徳川家に代々受け継がれる。
このような、経緯から、この刀は常に天下を取るもの、狙う者の手にある運命にあると言われる。

蜻蛉切(とんぼきり)

絵師 源覚(ニトロプラス)
CV 櫻井トオル
画像

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引用元:http://paroman.blog93.fc2.com

時代    室町時代
種類    槍
銘     藤原正真
製作者   藤原正真(三河文珠派(三河に移った村正一派のこと))
主な所有者 本多忠勝
現在    個人蔵(沼津出身の実業家・矢部利雄)

蜻蛉切は天下三名槍の1つ。
他の2つは、日本号、御手杵。
徳川家康の配下、本多忠勝が愛用したことでも有名。
戦場で立てていた槍に、飛んできた蜻蛉が当たって、二つに切れたことから蜻蛉切と呼ばれる。
代々、本多家に伝わったが、第二次世界大戦後に同家を離れた。

ちなみに、村正の刀は徳川家に仇を成す妖刀と言われている。
徳川随一の家臣といえる本多忠勝の愛用した槍が村正作というのも、面白い話である。

御手杵(おてぎね)

絵師 minato
CV 浜田賢二
画像 レプリカ

時代    室町時代
種類    槍
製作者   五条義助
主な所有者 結城晴朝、結城秀康、松平大和守家(前橋・川越松平家)
現在    東京大空襲により消失

天下三槍の1つ。
天下三槍は他に、日本号、蜻蛉切。
駿河国嶋田の刀工、五条義助が鍛えた、全長2メートル以上ある大きな槍。
鞘が細長く手杵のような形だったので、この名前になった。

御手杵は下総国の結城晴朝が作らせ、結城秀康に伝わり、前橋藩主・松平家が受け継いだ。
その後、東京大久保の松平邸に移されたが、東京大空襲によって消失した。

参考
いわの美術ホームページ
名刀幻想辞典



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