世界で一位に輝いた若き女性をご存知ですか?
名前は梶原悠未ちゃんと言い、競技は競輪です。
競輪のワールドカップに3回出場し、2回を優勝で飾ったという素晴らしい才能、実力の持ち主です。
梶原悠未ちゃん、調べてみると何でも水泳から競輪に転身したのだとか。
そこで転身のきっかけとなったのは、お父さんやお母さんの影響もあったのだとか。
ではではそのきっかけを詳しくご紹介していくと共に、競輪の前に夢中になっていた水泳選手時代のこともご紹介します。
梶原悠未ってどんな人?
サンデーモーニング生リモート出演しました。
昨日頂いたお花やお手紙のおかげで、バックが綺麗に映えました。 pic.twitter.com/ivB5Jbc0We— 梶原有里 (@0229Yuri) June 7, 2020
まずは梶原悠未ちゃんのプロフィールからご紹介します。
生年月日:1997年4月10日
出身地:埼玉県和光市
身長:155センチ
最終学歴:筑波大学大学院 人間総合学科学術院 人間総合学科研究群 博士前期課程 体育学学位プログラム在籍
今も大学院に在籍ということですね。
そんな梶原悠未ちゃん、競輪に転身したきっかけは高校の時だそうです。
そこで出身校をご紹介していくと共にそれぞれその時のエピソードも交えてご紹介しましょう!
中学時代の梶原悠未
中学は「埼玉県和光市立第三中学校」です。
ここでは、1歳から取り組んでいた水泳を頑張っていました。
全国大会で表彰台に上るほどの実力だったそうです。
種目は100mの自由形。
花型種目ですよね。
でもその分競技人口も多く、「トップになれない悔しさ」をいつも感じていたと言います。
特に中学3年生の時、最後の「全国中学大会」への出場を逃した悔しさがピークだったと言います。
その時のことを梶原悠未ちゃんは
「つらくて毎日泣いてばかり。」
引用元:https://www.koukouseishinbun.jp/
と言っていました。
ここまで相当な努力をしてきたんですもんね。
しかも中学最後の大会ということで、相当悔しかったんだと思います。
高校時代の梶原悠未
その後、「国立筑波大学付属坂戸高校」に入学します。
今まで水泳という大きな目標を持って挑んできていたのに、ポカリ、と目標を失っていたと言います。
ここで梶原悠未ちゃんは自分で水泳を辞めるかどうかの決断ができなかったようです。
そこで自分で1つのルールを決めます。
それは
「入学した高校に水泳部がなかったらもう水泳は辞める!」
ということでした。
2校受験して梶原悠未ちゃんが入学したのは国立筑波大学付属坂戸高校。
ここには水泳部はなかったんです。
ここでこんな風に思えるのってすごいですよね。
この時、梶原悠未ちゃんの背中を押したのはお母さんだったようです。
競輪に転身したきっかけを作ったのはお母さん
高校入学を前に、梶原悠未ちゃんはお母さんに
「高校でも(水泳での)目標を達成できなかったら・・・と思うと怖い。」
と相談します。
これに対し、お母さんは
「向いてる競技がほかにもあるのかも。
神様が何かを伝えているんじゃない?」
と言ってくれたと言います。
これって結構、素晴らしい一言ですよね。
なんせ1歳から水泳をはじめて続けてきたわけですから。
他の選択肢を提示するというのはなかなか簡単にはできるアドバイスではないと思います。
ですが、梶原悠未ちゃんのお母さんは元々、こういった他の選択肢という考え方をされる人だったようです。
1歳から水泳をしていましたが、これ一本ではなかったと言います。
「選択肢を広げてあげたい」と他にも週7で習い事に通わせたと言います。
本人は忙しかっただろうなあ、と思います(^^;
でもこういった柔軟な考えが今の梶原悠未ちゃんを作っているのでしょうね。
高校で出会った顧問の先生
お母さんからの一言のお陰で心が軽くなったのか、梶原悠未ちゃんは高校に入学して前向きになれたと言います。
そして入学した高校での部活紹介の時。
自転車部の顧問、安達先生の熱心な説明に心ひかれたと言います。
この時、自転車部と陸上部で悩んでいたようなんですね。
この時、自転車部と決めたんですが、スイミングスクールの方は続けていたようです。
あくまでも選択肢の1つだったんですね。
更に、自転車部は「あくまでも高校3年間だけやる部活」という位置づけだったといいます。
そしてここで梶原悠未ちゃんは目標を立てます。
それは高校3年間でインターハイに出場すること、です。
未経験な彼女がこんな高い目標を立てることがすごいと思います。
しかも、その目標、いきなり1年目で叶えちゃうんですから!!
インターハイ出場の夢はいきなり叶う
ペダルの漕ぎ方も、シューズの外し方も分からなかった梶原悠未ちゃんが、いきなり高校一年生の夏にインターハイ出場を果たします。
いきなりの目標達成に驚いたことでしょう。
万全の準備をして迎えたインターハイ当日。
梶原悠未ちゃんはゴール手前で落車してしまいます。
この時のことを梶原悠未ちゃんはこう振り返っています。
『安達先生に「自転車を好きになれ」って言われていたんですけど、水泳のことが頭のどこかに残っていました。
インターハイでは落車してしまって、「自転車イヤだなー」って思う事もありました。』
引用元:https://www.cyclowired.jp/
長い時間、夢中になって来た「水泳」ですからなかなか切りかえることが難しかったんでしょうね。
しかしここから梶原悠未ちゃんは自転車競技の面白さに魅了されていくことになります。
自転車競技独自の面白さに気付く
その後「都道府県大会(2013年第48回全国都道府県対抗大会・長崎県で開催)」のポイントレースで3位に入賞した梶原悠未ちゃん。
ここで自転車競技の面白さに気付きます。
それは
『水泳はタイムを競うものだけれど、自転車は勝つための作戦があって、展開次第で勝つ事も負ける事もあるところですね。
水泳はベストタイムが出た時も、なかなかタイムが伸びない時も、その原因がわからない事があります。
でも自転車は練習した事がそのまま結果に出る。それが一番の違いですね。』
引用元:https://www.cyclowired.jp/
だと言います。
作戦を練ったり、練習方法がそのまま結果に結び付くということが面白いと思えるようになったんですね。
思えば中学3年生のときの全国大会に出場できなかった時、梶原悠未ちゃんは
「努力は裏切らないって言うけど、嘘じゃん。」
と思ったと言います。
しかし自転車競技に出会って、ようやく
「努力は裏切らないを実感できた。」
とも言っていました。
自分が頑張った分だけ結果が出るというのはこれほど嬉しいことはないですよね。
更に大きな夢を追いかける
高校一年生の最後のレース「全国高等学校選抜自転車競技大会」で梶原悠未ちゃんは優勝します。
この時のレースがきっかけとなり、ナショナルチームの柿木孝之コーチに声をかけられます。
そして強化指定選手となります。
これだけ次から次に目標を設定していくのは、幼いころからのお母さんの教えが大きく影響しているようです。
お母さんは
「目標を持って1年を過ごしなさい」
「達成したら次の目標を決めてそこに向かって努力しなさい」
と教えてこられたそうです。
この教えこそが梶原悠未ちゃんの大きな強みでもありますよね。
大学でも梶原流
これだけ注目されている選手ですから、大学進学時はインカレの強豪校から引く手あまただったと言います。
しかし、梶原悠未ちゃんは自分がその大学でどんな環境で自転車をやりたいのか、というのを一番に考えて大学選びを始めました。
そこで決めたのは筑波大学です。
ここの環境は「国内ではなく世界」だったようです。
しかし筑波大学、自転車部は存在しませんでした。
ここで梶原悠未ちゃんは更にすごいことをやっちゃいます。
それは
「環境がないなら自分で作れば良い」
ということです。
もちろん家族の献身的なサポートも相まって今の梶原悠未ちゃんがいます。
自転車の練習メニューを自分で考えたり、強化指定選手なので練習拠点まで通ったり・・・と目の回るような忙しさでしょう。
しかしそれでも「考えること大好き!」という前向きな姿勢で、梶原悠未ちゃんはお母さんと二人三脚で自転車を続けています。
お母さんがロード練習の時はオートバイで並走したり。
身の回りを世話してくれたり・・・・。
本当にすごいお母さんです。
こんなお母さんが一緒にいてくれたからこそ、でしょうね。
そして夢は東京オリンピックへ
ついに、梶原悠未ちゃんはこんな目標を立てました。
それは「東京オリンピックで金メダル!」です。
2020東京オリンピックの日本代表に内定いたしました🎉
小さい時からの夢の舞台に立てることをとても嬉しく思います。
私の夢を一緒に追いかけてくれた家族、サポートしてくださったスポンサー各社様、JCF関係者様、応援してくださった皆様、本当にありがとうございます。
最高に幸せです☺️ pic.twitter.com/lZDQiD4w8Q
— 梶原 悠未 KAJIHARA YUMI (@Yumi_Kajihara) June 4, 2020
当然と言えば当然の目標かもしれませんね。
成功しか経験してないように見える梶原悠未ちゃんですが、当然、努力もしてますし、挫折も経験しています。
そして今回、東京オリンピックが延期ということに対しても
「時間が長くなればそれだけ強くなれる。」
ととっても前向きです。
このポジティブさこそが、最高な梶原悠未ちゃんの強さかもしれませんね!!
頑張ってください!
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以上「梶原悠未が競輪へ転身のきっかけはの父親?母親?水泳選手時代の成績もすごい!」をお送りしました。