あなたは「鏡開き(かがみびらき)」のこと、本当に知ってますか?
例えば、「鏡もち」と関係があることも?
ひょっとして「あれ・・・?」って思った人もいるかもしれませんね(^^)
そこで、この記事では
など、鏡開きの基本について、まずはご説明します。
さらに。
実は、関西と関東など地域ごとに異なる鏡開きの習慣ややり方についてもご紹介したいと思います。
題して、「2016年の鏡開きの日にちはいつ?鏡開きの意味や関東と関西の違いも紹介!」をどうぞ♪
2016年の鏡開きの日にちはいつ?鏡開きの意味や関東と関西の違いは?
お正月には歳神様が各家にやってきて、一年の健康と幸福を授けてくれます。
大切な歳神様を「おもてなし」するために、年末に大掃除をして鏡餅・門松・しめ縄などの正月飾りを飾ります。
歳神様をお迎えしたあと、鏡餅はどうすればよいのでしょうか?
意味や関東と関西の違いなどをご説明していきますね☆
鏡開きの意味!
鏡開きとは、歳神様に供えた鏡餅をさげて家族が雑煮や汁粉などにして食べる行事のことです。
鏡餅には歳神様の御魂が宿り、それを食べることによって新しい生命力を得るという信仰につながるとされています。
「開き」は「割る」の忌み詞(いみことば)です。
忌み詞とは、不吉な意味や縁起の悪いことを連想するとして使用を避ける言葉に代わりに、縁起を担いでめでたい言葉で表現することです。
忘年会や新年会などで「お開きにしましょう」といいますよね。
その「お開き」と同じです。
最近の鏡餅は、小分けにパック詰めになっていることが多いので、鏡開きも楽になりましたね。
その場合でも包丁で切り分けてはいけません。
本来の鏡開きでは、手や木槌・金槌でお餅を叩いて分けるのです。
なぜでしょうか?
鏡開きは昔の「歯固め」にならって室町時代の武家社会で行われていた習慣「具足開き」に由来します。
武家の習慣だったので、刃物でお餅を切ることは「切腹」を連想するため使わないのです。
「切る」ではなく「開く」といわれるようになったのもこのためなんですね!
また、歳神様との縁を切らないために刃物を使わない、ともいわれています。
歯固めとは、正月三が日の間、鏡餅、猪、鹿、押し鮎、大根などを食べる行事です。
「歯」は「齢(よわい)」の意味があり、年齢を伸ばす意味の儀礼とも、堅い物をかんで歯の根を固める意味の行事ともいいます。
そして、この鏡開きでお正月に区切りをつけて、仕事を始めるという意味もあります。
武家では、甲冑(かっちゅう)を納めた櫃(ひつ)を開く「具足開き」です。
武士は甲冑(かっちゅう)、婦人は鏡台にも鏡餅を供えていました。
商家や町家では、「蔵開き」「帳祝い」が行われていました。
また、農家では「鍬初(くわはじめ)」「鋤初(すきぞめ)」などと呼ばれる田畑にその年に初めて鍬(くわ)を入る作業が行われました。
模擬的に農作業を行い、秋の稔りを予祝する儀式ともいわれています。
各場所に供えていた鏡餅を下げて、主従や家族でともに雑煮や汁粉などを食べました。
これは、信頼関係を密にし、無病息災を祈っていたのです。
この鏡開きは、武道の寒稽古(かんげいこ)に引き継がれ、そのときに鏡餅で汁粉をつくって食べることが多くなりました。
2016年の鏡開きはいつ?
現在は1月11日が一般的です。
一般的に1月7日までが「松の内」なので、松の内が明けた11日に鏡開きをするのです。
松の内を1月15日までとする地方では、15日、20日に行っているところもあります。
また、1月2日や4日などに鏡開きを行うところもあります。
もともとは、1月20日が一般的でした。
しかし、徳川3代将軍家光が4月20日に亡くなったので1日20日は月命日にあたります。
そのため、20日を避けて11日に改められたとの説があります。
武家が20日に行っていた具足開きでは、甲冑に供えた鏡餅を「刃柄(はつか)を祝う」、鏡台に供えた鏡餅を「初顔(はつかお)祝う」として、雑煮などにして食していたんです。
それぞれがもっとも重視する道具と二十日(はつか)との語呂合せで祝っていたのです。
鏡開きの関東と関西の違いは?
鏡開きの日にちは、一般的に1月11日だとお伝えしました。
しかし、関西では1月15日に行われることが多いんです。
年神様は各家に訪れる神様なので、お迎えの方法は各自、各地域によって違うのは当たり前!
なんですが、少し気になるので調べてみました☆
もともと1月20日に行っていた鏡開きは、徳川家光が亡くなった4月20日の「20日」を避けて、1月11日に変更されました。
それに伴い、お正月飾りを飾っておく期間(松の内)も1月15日から1月7日へと変更されました。
お正月飾りがある間、歳神様は家にいらしていて鏡餅にご鎮座されています。
そのときに鏡開きをするのはおかしいんじゃないか!?ということで松の内も早まったんです。
江戸前期の『日本歳時記』(1688年刊)には、1月14日に「門松注連縄を去」と書かれています。
しかし、後期の『東都歳時記』(1838年刊)には、1月6日に「今夕門松を取納む。承応の頃までは、十五日に納めしとなり」と書かれています。
徳川家光は1651年に亡くなっているので、30年以上経ったころでもまだ変更されていなかったんですね。
「お正月飾りは1月7日の朝までに下げるように」と何度も町触れが出されていたようです。
その効果があり、江戸時代後期には現在と同じ日にちになったのですね。
現在、関東と関西で鏡開きの日にちが違うのは、この変更が行き届かなかったともいわれています。
また、京都では1月4日に鏡開きを行っているところがあります。
古くからの習慣で4日に行っているそうです。
京都のお雑煮は白味噌ですが、この白味噌のお雑煮に飽きてきたころ、そろそろ別のお雑煮が恋しくなったころが4日だともいわれています。
ちなみに、「お汁粉」と「ぜんざい」にも関東と関西の違いがあるんです。
ご存じでしたか?
「お汁粉」
- 小豆の餡(あん)を溶かした汁のなかに、餅などを入れる
- 汁あり・粒あり・粒なし
<関西>
- 漉し餡を溶かした汁のなかに、餅などを入れる
- 汁あり・粒なし
「ぜんざい」
- つぶし餡をまぶした餅(栗餅・道明寺餅・白玉餅などに濃い餡をかけたもの)
- 汁なし・粒あり
<関西>
- つぶし餡の汁粉
- 汁あり・粒あり
※つぶし餡とは、小豆をやわらかく煮て水を切ったあとそのまま皮をむかずに砂糖を加えて火にかけ、つぶしながら練って作った餡のことです。
関東では、小豆の「汁」がある・なしで区別し、関西では、小豆の「粒」がある・なしで区別するんですね!
そもそも、なぜ小豆を食べるのでしょうか?
小豆は、古くから邪気を払うものとされていました。
また、赤色には魔除けの力があると信じられていました。
邪気を払う小豆、赤色の魔除け、歳神様の御魂の宿った鏡餅をセットでいただくことは、とても縁起の良いことだったんですね!
小豆粥にして1月15日に食べる習慣もありました。
地方によっては、11月23日の新嘗祭(にいなめさい)や、旅立ちの日などにも食されています。
お粥なので基本的には塩味ですが、好みで餅を入れたり、砂糖をかけたりもしていたそうです。
鏡開きのときに一番大切なこと!
鏡開きの日にちは、1月11日が一般的です。
しかし、1月15日のところも多くあります。
歳神様は各家に訪れる神様なので、そのお迎えの方法は地域や各家によってさまざまな違いがあります。
どれが正解・間違っている・・・というものでもありません。
自分たちのやり方、地域のやり方に沿うのが一番です!
邪気を払う小豆、魔除け、歳神様のパワーが入った鏡餅をいっぺんに食べられるお汁粉を食べて、素敵な1年になるよう期待を込めたいですね♪
お正月の準備を開始する事始めや、お正月飾りを飾る日、片づける日、鏡開き、松の内・・・など、気になる「お正月のしきたり」をまとめてみました!
ゼヒご覧になってくださいね♪
こちらの記事もあわせてどうぞ!
>>正月飾りの鏡餅・門松・しめ縄はいつから飾る?飾る時期や飾り方について!
>>お正月飾りはいつまでに外す?松の内の期間と意味や由来を解説!
>>門松・しめ縄・破魔矢・鏡餅などのお正月飾りの片付け・処分方法!左義長・どんと焼きの意味とは?
>>小正月の意味や由来!食べ物の慣習や飾り物の玉にについて!
以上「2016年の鏡開きの日にちはいつ?鏡開きの意味や関東と関西の違いも紹介!」をお送りしました。
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